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当ブログは管理人、三枝りりおのオリジナル作品を掲載するブログです。
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「ふーん。へーえこうなってるんだ~。」
日も暮れかかった建設現場をふらふらと歩き回る十楽寺を数メートル後ろからついていく。十楽寺の背中を見つめながら羽柴は胸を不安でいっぱいにしていた。十楽寺の言っていた強行手段という言葉が気にかかる。建設現場を荒らされたらどうしよう。大島本部長に報告するのが怖い。そんな気持ちを少しでも紛らわせたくて羽柴は隣を歩くレイに声をかけた。
「あの、レイさんですよね。以前そちらに伺った時は失礼なことを言ってしまいすみませんでした。」
「…。」
レイは無言で片手を振った。気にするなという意味らしい。そういえばまだレイ本人の声を聞いたことがないと思いながら羽柴は会話を続けた。
「気にされていない様で良かった。…レイさん達はとても仲がよろしいのですね。まるで家族みたいです。」
「……。」
羽柴はなおも一言も喋らないレイに若干苛立ちを覚えた。レイの声を聞いてみたい欲求に駆られた羽柴は、少し関係に立ち入った事を口にした。
「実は十楽寺先生の奥さんだったりとか…?あ、年齢的にまだ恋人ですかね。」
笑いながら話す羽柴に、それまでほとんど表情を変えなかったレイが明らかに嫌悪の表情を見せた。羽柴の方も触れてはいけないことを言ってしまったと思い慌てたが、レイの隣から笑い声が聞こえてはっとした。笑い声の方を覗くと奈々美が腹を抱えて大笑いしていた。
「お、俺なんか変なこと聞いたかな…?すみませんレイさん!」
「おっさん馬鹿じゃね!レイちゃんは男だよ!九喜の奥さんとかマジウケるんですけど!あははははは!」
「えっ⁉」
とっさにレイを見るとなんども首を縦に振っている。男だと言いたいらしい。羽柴は自分の失敗に顔を真っ青にし、次に恥ずかしさに顔を真っ赤にした。
「え、あ、あ、すすすみません!その、レイさんすごく綺麗だからてっきり女性かと…!」
「綺麗だからとか普通男に言わないし!おっさんホントさっきから失礼なことばっか言うよねー!そんなんじゃ出世しないんじゃね?あいたっ!」
レイに軽く頭を小突かれて奈々美は彼を生意気な目つきで睨んだ。レイが左右の人差し指を交差してバツマークを作っている。
「何レイちゃん。言い過ぎって言いたいの?だって事実なんだからいーじゃん!」
「あの…。失礼ついでにどうしてレイさんは喋らないんですか?変装時は喋ってましたよね。」
「ああ、レイちゃんシャイだから人と素で喋るの苦手なんだって。変わってるよねー。」
「へえ……。」
せめて声が聞けていたらこんな失敗はせずに済んだろうと思いながら改めてレイを眺める。鼻筋の通った上品な横顔は、男の角ばりも、女の丸みもなく、どこか外国の美少年の様に思えた。
「本名も国籍も年齢も教えてくれないし、謎だらけだよねレイちゃんは。九喜とは昔からの知り合いみたいだけど、どっちかっていうとされるがままなだけだよね。従順な助手ってカンジ?っ!」
レイはまだまだ喋りそうな奈々美の口に人差し指を当てた。それ以上は喋らないで欲しいようだ。十楽寺がくるりと振り返る。
「ちょっと何三人で盛り上がってるの?僕も混ぜてよ!」
「アンタは仕事でしょ?黙ってヨーカイ探しなよ。」
「もう、ちゃんと探してるよ!」
十楽寺が不満そうに手に持った棒を振り回す。その棒を気にしながら、羽柴が疑問をぶつけた。
「その、妖怪というのはどんなものなんでしょうか?ろくろ首とか、ぬりかべとか…?」
「え?あははは!違いますよ!そういうわかりやすくてユーモラスな存在は妖怪の一面に過ぎませんよ。」
「そ、そうなんですか!?」
「ええ。妖怪に本来姿なんてありません。しかし、ものによっては様々な姿に化けることができます。まあ詳しく説明する時間はないんですけど、害をなす霊的存在を僕は妖怪と表現したまでです。」
「じゃ、じゃあうちに現れた妖怪は!?」
「むろん名前もないし普通の人には姿も見えません。妖怪って言うのは元は不可思議な現象そのものなんです。それに名前をつけて、姿形をつけたのは人間ですから。本当の妖怪はもっと邪悪で恐ろしい存在ですよ。」
「はあ…。」
「今回みたいな場合は本当は場所を移すのが一番なんですけど、そうも行かないでしょうから今回は応急処置で。ここの大元を倒します。」
十楽寺は機材が散乱したある一角まで来ると立ち止まった。
「うん、この辺りが一番霊気が強いかな…。羽柴さん達は下がってて!」
「ここは…。」
十楽寺がこの場所で立ち止まった事で羽柴に緊張が走る。その場所は現場監督が高熱に倒れた場所だった。十楽寺達にこの場所の事は伝えてない。羽柴は動揺しながら十楽寺の様子を伺おうとするが、あたりは夕闇ですでに十楽寺の顔はよく見えない。
「黄昏時…。逢魔時とも言いますね。もっとも彼らに会いやすい時間だ。奈々ちゃん達、羽柴さんのそばから離れないようにね!」
「わかってる!」
十楽寺の声に緊張が感じられる。おそらく表情もいくらか真剣なものになっているのだろう。十楽寺は山を背に向けて何かと対峙するように身構えると、持っていた棒状のそれの布をゆっくりと剥がしていく。羽柴は完全にその空気に飲まれ、訳も分からず緊張し、奈々美とレイに向かって小声で話しかける。
「あ、あれが妖怪退治の武器なんですか?」
「……武器って言えば、武器なんじゃね?」
「…。」
奈々美とレイは顔を見合わせ、次になんとも言えない表情で羽柴に顔を向けた。意図がわからず羽柴は困惑したが、まあ見てろと言わんばかりにレイが十楽寺を指差したので、彼は再び十楽寺に目を戻す。
「…は⁉」
羽柴はその眼を疑った。薄暗さの中で色まではわからないが、左右に羽を模した飾り、柄に巻き付いたリボン。そしてなにより先端のハート形の飾り。
「魔女っ子ステッキ…?」
「失礼な!これは僕が独自に霊力を溜めた法具、通称『マジカルヘヴンステッキ』です!」
「なんでそんな見た目なんですか!ていうか仏教なのにヘヴンて!」
「ファンシーで親しみやすさを重視してみました!」
「妖怪退治にそんなもの要りませんよ!」
ホスト風の男が女児用のおもちゃを振り回す様に気を取られていると、突如周囲の空気が揺らいだ気がして羽柴は驚いた。次いで風圧のようなものが十楽寺を襲う。
「っ!」
何も見えないが、何かがそこにいる。羽柴は一瞬にして体温が冷えるのを感じた。鼓動が跳ね上がる。その激しさに息ができず、胸を押さえながら羽柴はただ純粋に感じた。
怖い。
「あーあ。羽柴さんが騒ぐから先手取れなかったよー。」
間延びした十楽寺の声に羽柴の意識は現実に引き戻された。同時に酸素が一気に肺に入り込み、胸に痛みが走って咳き込む。呼吸をなんとか整えながら羽柴は考えた。あのままだと恐怖のあまりショック死していたかもしれない。先ほどまで自身を覆っていた真っ黒な恐怖心を思い出して身震いした。冷え切った羽柴の手をレイがそっと握る。
「えっ…?」
「レイちゃんが心配してやってんだよ。慣れてないなら見ないほうがいいよオッサン。」
「そ、そうなんですか…?ありがとうございます。」
「……。」
「なによレイちゃん。アタシは握んないよ?オッサンの手なんて触りたくないもん。」
奈々美のセリフに軽くショックを受けた羽柴だが、先ほどの恐怖は消えつつあった。正直男に手を握られるなんて普段なら嫌悪感しか感じないはずが、レイの見た目もあってか羽柴は安心感を得られた。二、三度深呼吸をして呼吸を整えてから羽柴は十楽寺の様子を観察した。大きな怪我を負った様子はない。相変わらずステッキを肩に担ぎながら立ち尽くしている。十楽寺にはその何かが見えているようだ。
「なかなかでかいなあ。これは凶悪そうだね。」
「だ、大丈夫ですか?」
「オッサン、今は九喜に話しかけないほうがいいよ。」
「あ、すみません!」
「それに心配しなくても大丈夫だよ。九喜、すっごく強いから。」
奈々美はそう言いながらまっすぐ十楽寺を見つめている。表情は見えないが、その声には十楽寺に対する絶対的な信頼がこもっていた。十楽寺がステッキを天に向かって掲げる。
「あまねく諸仏に帰命し奉る。金剛界の主尊大日如来よ、独鈷、羯磨、摩尼、蓮華と共に光明を差し伸べたまえ!」
十楽寺の空気を切り裂く様な凛とした声に共鳴するように、ステッキが眩しい光を放ち始めた。山に太陽が隠れ、暗闇に変わりつつある辺りがまばゆい光に照らし出される。そこには陽炎のように揺らめく空気と、それに対峙する十楽寺の笑顔があった。先ほどの柔和な笑顔ではなく鋭い眼光で見えない相手を睨むその目は好戦的で、まるで別人のような迫力だ。ステッキを構える。
「君には悪いけど消えてもらうよ。次はちゃんと山に帰るんだね。」
十楽寺はそのままソレに向かって一気に間を詰める。それから人間とは思えない高さまで跳躍すると、体重を乗せてステッキを一気に振り下ろした。
「みらくるへゔんぶれいく!」
「……はあ?」
間の抜けた声とともに何かが破壊されたような衝撃が四人を襲い、思わず羽柴は目をつぶった。
オオォオオォォオォォ……
声のような轟音が周囲に響きわたる。アレの断末魔だろうか。大気に充満していた気配がきえると、ようやく羽柴は目を開けられた。正面から乱れた髪と服を直しながら十楽寺がこちらに戻ってくるのがわかった。レイが懐中電灯を灯す。辺りはもう暗闇に包まれていた。
「十楽寺先生!」
「いやあ今回は強敵だった~。」
「嘘ばっか。一撃だったじゃん。」
「酷いよ奈々ちゃん。普通の人間なら姿を見ただけで死んじゃうような奴なんだよ?それに見た目だってこーんなでっかくてなんかぐちゃぐちゃしてて!」
子供が親に説明する様に両手を広げて説明する十楽寺から先程の気迫は消えていた。事の一部始終を目の当たりにし、体感した羽柴は十楽寺の笑顔に安堵した。
「なんだかわかりませんけど、本当に強いんですね…。」
「当たり前ですよ!『ミラクルヘヴンステッキ』は金剛杵に匹敵する力を持つ武器なんですからね!」
「こんごう、しょ…?」
「ダイアモンド並みの強度をもち、魔を打ち砕く仏教の武器ですよ。」
そう言ってくるくると振り回しているステッキには傷一つない。この名前と見た目でなかったらもう少し尊敬できただろうと羽柴は脱力した。
「ともかく妖怪は霧散して消えました!元凶は絶ったし、一度派手にやればしばらく他の妖怪も寄り付きませんのでもう事故は起こりませんよ。現場監督さんの熱も間も無く下がるでしょう!」
「あ、ありがとうございます。」
「いえいえ。ところでレイちゃんは僕のこと心配してくれたよねー?ほら見てよここちょっと擦り剥いちゃって…ってちょっと!なんで二人手を繋いでるの⁉この数十分の間に何が…。」
「あっ!ち、違います!これはちょっと!」
「びびって震えちゃってるから仕方なく握ってやってたんだよ。ね、レイちゃん。」
「そ、それは…。」
「なんだ、びっくりしちゃったよ。レイちゃんは優しいもんねー。」
「キモッ!」
奈々美の言葉も気にせず笑顔を絶やさない十楽寺と、同い年くらいの男に頭を撫でられても嫌な顔せずされるがままなレイに若干驚きながら羽柴はその三人の様子を眺めていた。これまで生きてきた二十八年間で一度も経験した事のない出来事を一日の間に次々に体験し、彼は半ば放心状態だった。
「さて、ここから新宿までは結構かかるからそろそろ帰ろっか。あ、そうだ。羽柴さん!」
「え、何ですか?」
「料金、まだ伝えてませんでしたよね。一千万円です。この口座に振り込んでおいてください。」
「はい。……ぇええ⁉な、い、一千万!?」
「そうですよ。こっちも命かかってますからね。」
「で、でも一千万なんて!」
「貴方も感じたでしょう?死の恐怖。」
十楽寺の言葉に羽柴は出かかった声を詰まらせた。妖怪と呼ばれた存在が現れた瞬間、自身を襲ったあの恐怖。先のない暗闇が目の前に永遠に広がるような絶望。あれは死の恐怖だったのか。
「それじゃ、今回は十楽寺九喜をご指名いただきありがとうございました。上司の大島さんにもよろしくお伝え下さい!あ、振り込みは二週間以内にお願いしますねー!」
「え、ちょ、ちょっと!」
羽柴の引き止めも聞かずに十楽寺達は乗ってきたレンタカーに乗り込み工場建設場を出て行ってしまった。遠ざかっていく車の明かりを見送りながら、羽柴は別の恐怖が自分を襲うのを感じた。
「羽柴!なんだこの報告書は!一千万とはどういう事だ!」
大島の怒号が空気と羽柴の鼓膜をびりびりと振動させた。羽柴は縮こまりながら目で人を射らんとする大島に小声で答えた。
「わ、私自身信じられません。…でも決して嘘じゃないんです。十楽寺先生は確かに何かと対峙して、それを消滅させたのです。」
「はあ…。」
大島はこめかみを抑えながら報告書を眺める。
「で、実際にお前はそれを見たのか?」
「いえ、何せ相手は見えない存在なので…。」
「じゃあこのマジカルなんとかというのは?」
「霊力を込めたというステッキで、なんでも魔を打ち砕く仏教の武器のような強さがあるとか…。妖怪を倒しても全く傷ついていませんでした。」
「その霊力というのはなんなんだ?」
「それは………わかりません。」
「羽柴……。」
大島の眉間に更に深いシワが寄る。羽柴はそれをびくびくしながら見つめ、なんとかその溝を緩める方法を模索していた。
「お前、薬か何か飲まされたんじゃないか?」
「えっ…?」
「詐欺師の手口だ。香や飲み物に薬物を混ぜて幻覚を誘発する。」
「そ、そんな!」
「ともかくもういい。後は上に俺が伝える。お前はもう下がれ。」
大島はそれだけ言うともう羽柴と目を合わせようともしなくなった。羽柴は仕方なく自分のデスクへ戻った。
それから約一カ月、何事もない平穏な毎日が流れた。羽柴も十楽寺達の事を忘れかけ、日々の仕事に忙殺される中、受付嬢から一本の内線が入った。
「はい、羽柴です。」
「受付です。今、五菱商事の古池礼二様とそのお連れ様がお越しです。羽柴さんと大島本部長にお会いしたいと。」
「えっ!五菱さんが⁉」
五菱商事の名前を聞いて羽柴の脳裏に十楽寺達の姿がよぎる。同時にあの奇妙な一日の事も。しかしすぐに頭からそれを振り払い、気をとり直した。古池礼二とは取引で何度か会ったことがある。十楽寺関係ではないだろう。アポイントを受けた覚えはないが大事な取引相手だ、とりあえず顔を出そうと決断した。
「大島本部長も承諾されましたが、如何致しますか?」
「あ、ああ。行きます。直ぐに。」
「かしこまりました。では第一応接室へお越しください。」
事務的な受付嬢の返事を聞き、羽柴は直ぐに支度を始めた。僅かな疑問を胸に抱きながら。
「お待たせしました。羽柴です。古池さん、本日はいかが……」
羽柴が応接室に入ると、すでに大島達が揃っていた。羽柴が目にしたのは大島の後ろ姿と、それに対峙する清潔感のある中年男性、古池。その古池の隣には…。
「十楽寺、先生…。」
「あ!どーも羽柴さん久しぶり!」
お連れ様とは十楽寺の事だったようだ。言葉の出ない羽柴をよそに、十楽寺がスーツの首元を緩めながら話し出す。
「いやぁ僕がアポ取ろうとしても無理だと思ってこういう形にさせていただきました。ね、古池さん?」
「はい。」
「もう変装といていいよ。」
そういわれた瞬間、古池があっという間にあの細身の美しい男、レイに変わっていた。そのスピードはまさに瞬きよりも早い。大島が険しい顔をさらに険しくし、般若のような形相になった。
「…なんのつもりですか十楽寺さん。」
「強引な方法をとってすみません。ああ、工事再開したらしいですね。現場監督さんも復帰されたとか。」
「そんなことはどうでもいい!一体なんのつもりだと聞いてるんだ!」
「まあまあ落ち着いて大島さん。騙して入れてもらった事は謝ります。でもそちらも人の事言えませんよね?」
「っ…!お引き取りください!」
大島の怒号が響くが、あいかわらず十楽寺は飄々としている。ソファに盛大に腰掛け、出されたお茶をのほほんと飲んでいる。
「あの、どんな御用件で…?」
「あれ、羽柴さんはもしかして知らないのかな?料金が支払われてないこと。」
「えっ!」
羽柴がとっさに大島を見る。報告書で伝えたはずだ。払うにしろ払わないにしろ、てっきりもう決着はついているものと思っていたのだ。
「デタラメを。払ったでしょう。」
「二百万しか受け取っていませんよ。」
「それだけ払えば十分だ!」
「僕たちが請求した額は一千万です。それだけ命のかかった仕事ですからね。羽柴さんもこの仕事の事、わかっていただけたはずですよね?」
「は、はい…。」
「どうせ薬か何かで幻覚を見せたんだろうが。」
「これだから一見さんてのは…。」
十楽寺は深いため息をついて、レイの分の湯のみにまで手を出した。ほとほと呆れた様子だ。しかし、その湯のみを置くと、十楽寺は先ほどと打って変わって真剣な眼差しで大島を射た。
「困りますね、せっかくわかってもらうために羽柴さんに退治する場面を見せたのに。これじゃあもう一度やらなくちゃいけなそうだ。」
「脅迫でもするつもりかね。若造が…会社をなめるのもいい加減にしたまえ!」
大島の怒号が響いたその瞬間、応接間の電気が点滅し始めた。接触不良とは少し違う。羽柴はその光に警告ランプを思い出した。次いでどこからか生臭い匂いが漂ってくる。同時に羽柴は足元から這い上がるような恐怖に襲われた。一カ月前、建設現場で感じたものに似ている。大島も同様な気分に襲われ、ソファにぐっと爪を立てた。
「人間相手は疲れるんですよ。なんせ力加減しなきゃいけないんでね。」
十楽寺とレイの影が照明の加減と関係なく揺れ蠢き、徐々に大きくなる。影はおよそ人間の姿とは言えない禍々しい姿に変容していく。それを目の当たりにした大島と羽柴は驚愕した。
「何の茶番だ!人を呼ぶぞ!」
「どーぞご自由に。」
おぼつかない足取りで大島がドアを開けようとするが開かない。鍵は開いているはずなのにだ。羽柴もそれを見て内線に繋ごうとするが線は繋がっているのにノイズのような音がするだけで全く使い物にならない。それどころか受話器から何か恐ろしいものがこちらに語りかけてくるような気配を感じて慌てて内線を切った。堪らず十楽寺を見る。
「な、な、何をしているんですか十楽寺先生⁉」
「簡単に言うと地獄の悪神を呼び出してます。」
「あ、悪神⁉」
「ええ。この前退治した奴の比じゃないですよ。現世に現れる妖怪なんて足元にも及びません。」
「や、やめてください!お願いします!お願いしますから!」
「大島さん、わかっていただけました?」
「こ、こんなものはトリックだ!な、なにか仕掛けたんだろう!」
「本部長!もうやめましょうよ!さっき来たばかりのここで、トリックなんて仕掛ける方が無理があります!」
「黙れ羽柴!お前も騙されるな!」
ガタガタと震える腕を突き出し、大島は十楽寺たちを指差した。初めて見る大島の怯えた姿に、羽柴もさらに心細くなる。なんとかして十楽寺たちを止めようと考えるが、羽柴の体も力が抜けてうまく動けない。強情な大島の様子に、十楽寺がレイに目配せをした。それを受けたレイが、すっと立ち上がる。
「 」
レイが口を開いた。何かを話すように唇が動くが、声を捉えることができない。疑問符が浮かぶ二人に応えるように、レイが大島の足元を指差した。大島は自分の足元に目をやり、声にならない悲鳴を上げる。ついで羽柴もその目を追い、今度こそ部屋に悲鳴が響いた。
「ほ、本部長!」
そこには毛虫、蛭、百足、毒蛇、毒蜘蛛…。他にも名前のわからないありとあらゆるおぞましい姿の虫が群がっていた。それが次から次へ床から湧き出し、大島の足を這い上がる。いくら大の男とはいえ、害虫に群がられて恐怖しない者はいないだろう。虫達は目的を持ったように黙々と上へと登ってくる。うぞうぞとうごめく其れ等は、視覚的にも触覚的にも大島の精神を侵す。
「これでもまだ幻覚だといいますか。」
「くぅ…ッ…!わかった、上にもう一度掛け合う!だから早くこれをなんとかしてくれぇ!」
「ありがとうございます♪」
十楽寺の笑顔とともに部屋が明るくなる。先ほどの禍々しさが嘘のように平凡な部屋に戻った。大島の足に群がっていた虫たちも途端に死に、ぱらぱらと転がり落ちた。大島は真っ青な顔でその死骸を避けながらなんとかソファにもたれかかる。未だに震えが止まらないようだ。レイが背中をさすろうとするのを払いのけ、浅い呼吸を繰り返した。十楽寺がそれをどこか冷めた瞳で見つめたまま語りかける。
「わかっていただけて恐縮です。それじゃあこちらの書類にサインしていただけますか?言い逃れされても困るので。」
「わかったから…。少し、少しだけ待ってくれ…。」
呼吸を整えようとする大島を見て、彼の前に契約書を出して十楽寺たちはまた席に着いた。羽柴もオロオロしながら席に着く。
「大島さんがこんな状態だから羽柴さんに言うけど、こちらは現実的な脅迫も可能なんですよ?」
「ど、どういうことですか…?」
「僕たちが最初に訪ねてきた姿で気付きませんでした?羽柴さんの取引相手を僕たちは知ってたからその人に化けられたんですよ。」
「あ…。」
「これでも表側は探偵業をやってますから。本社勤務とはいえ末端社員の羽柴さんの取引相手を知ってるって、どういうことかわかりますよね?奈々ちゃんのおかげでもっとでかい情報も掴んでるんですよ。例えば来月発表予定の新製品のこととかね。ファンデーションでしたっけ?」
「よせ!機密情報だ!それ以上はやめてくれ!」
「別にどうこうするつもりはありませんよ。ただ、うちが大企業とかなりの繋がりを持っていることも了承していただきたい。その気になればそれをダシに一千万くらいすぐに他の企業からいただけるんですよ。」
笑顔で語る十楽寺に、大島たちは戦慄し、心の底からこいつは絶対に敵に回してはいけない人間だと思った。大島は一刻も早く二人を帰らせるために震える右手に左手を添えながらサインをし、葉王の印を押して十楽寺に手渡した。十楽寺はそれをきっちりと確認すると、レイの持ってきたファイルに丁寧にしまい、席を立った。
「それじゃ、長居しても仕方ありませんからお暇します。お忙しい中失礼いたしました!」
笑顔で手を振る十楽寺に続いて、また古池礼二に変身したレイが部屋を出て行った。ドアの閉まる音が部屋に響くと、大島は緊張が緩んだようにテーブルに突っ伏した。羽柴は先ほどのことが未だに信じられず、うまく働かない頭のままとりあえず気を取り直すため湯のみを取った。口に持っていきながら何気なく部屋の隅に目をやり、青ざめる。毒虫たちの死骸が先ほどの事が現実であると物語っていた。
夜になっても変わらず賑わい続ける新宿の街。いや、むしろ夜の方が人の数が増えて感じるかもしれない。東口を出て少し行ったところにあるネオンの灯りに彩られたここは通称二丁目。ゲイバーが数多く軒を連ねる場所である。その中の一軒、『三匹の豚』という小さなバーに十楽寺とレイはいた。
『今宵のシンデレラにガラスの靴はいらない。二十四時間美しいあなたのままでいよう。葉王化粧品の『シンデレラファンデ』新発売。』
「これこれ!これ巷ですっごい人気なのよー。結構バッチリ塗り込めるからアタシ達も昼間も安心なのよね。おまけにお肌も荒れないし!」
ムーディーな照明と音楽の中、店の奥についたテレビを見るともなしに見る十楽寺にハイボールを出しながら大柄の人物が話しかける。
「ああ、葉王の新商品ねえ。」
「なによ興味なさげね!」
「だって僕ら女装趣味じゃないもん。ねえレイちゃん?」
「…。」
隣でオレンジジュースを飲みながら静かに頷くレイを見て大柄の人物、三子(みつこ)は腰に手を当ててため息をついた。彼はここの店主の女装家である。何故そのチョイスなのか薄地のぴっちりとしたドレスが厚い胸板のせいではちきれそうになっている。
「レイちゃんはいいわよ化粧なんてしなくても綺麗な肌だもの。うらやましいわ~。」
「三郎ちゃんも結構綺麗な肌じゃない?顔のラインさえ隠せばもっといいと思うよ!」
十楽寺のにこやかな笑顔の前に包丁が突き立てられた。十楽寺の表情がそのまま固まる。頭の上からひときわ野太い声が降ってきた。
「次その名前で呼んだらコロス。」
「ゴメンナサイ三子サマ。」
本名で呼ばれることを極端に嫌う彼のご機嫌を取りながら十楽寺はハイボールを煽った。男性ホルモンの影響をもろに受けた角ばった顔をした三子の怒り顔は圧巻である。
「まったくもう!余計なお世話なのよ!」
「いやあそれはそれで似合ってると思うよ…。そのショートボブ。」
「ありがと。ねえそれより見てよこの上腕二頭筋!一カ月ジムで鍛えまくって一回り大きくしたの。そそらない?」
「うわちょっとそれ以上筋肉に力入れるとドレス破れるよ!」
微笑みながらレイの二倍はありそうな腕を隆起させる見るに堪えない光景に十楽寺が制止すると、三子は不満そうに頬を膨らませた。
「もう!伸縮性高いから大丈夫よ!まったく九ちゃんはレイちゃん一筋なんだから!」
三子の言葉にレイが表情を変えずに首を振る。十楽寺も困ったように眉をはの字にして返答する。
「違うよ。僕たちそういう関係じゃないって!」
「あら、あんた達付き合ってんじゃないの?」
「最近よく間違えられるんだよねー。いっそ付き合っちゃう?」
「…。」
ふざけて抱きつこうとする十楽寺をレイが華麗に避けたせいでそのまま椅子からずり落ちた。レイは若干眉間にしわを寄せながら左右の人差し指を交差してバツマークを作っている。
「あいたた…。冗談だってば!」
「ちょっと!いい大人が店内で暴れないでよ!」
「九喜、レイちゃん。何やってんの。」
この場所に似つかわしくない甲高い声が聞こえて振り向くと、入り口の前に奈々美が立っていた。
「あら奈々美ちゃん!また可愛くなったわねえ。これ以上綺麗になったら入店禁止よ!」
「ハイハイ。一週間前にもそれ聞いたよ。で、今日どっか食べに行くんでしょ?」
「そうでした!予約入れてたの忘れる事だったよ。じゃあまたね三子ちゃん。」
「あらどこ行くの?」
「近くの京懐石料理店。ちょっと収入があったからね。またゆっくり飲みに来るよ。」
十楽寺はそういうと代金を手渡し、二人を連れて足早に出て行った。
「全く慌ただしいわね。」
ため息をつきながらコップを片付け、三子は他の客の相手をする事にした。店には相変わらずムーディーな音楽と客と従業員による喧騒が充満している。
大勢の人間が右往左往行き交う街、新宿。サラリーマン、学生、ホスト、浮浪者。普段接点のない者同士がすぐ真横を通り過ぎていく。例えそれがどんな人間であってもきっと誰も気にしないだろう。だが、もし何かのきっかけで彼らに関わってしまうことがあれば気をつけなければならない。何故なら彼らは最強の味方にも、最恐の敵にもなり得るのだから。
fin
ここは東京駅から徒歩数分の距離にある巨大ビル、五菱商事本社。オフィスビルというにはあまりに芸術的かつ豪華なデザインで、初めて見た人には何かの美術館かコンサート会場だと思うだろう。日本の技術と美の集大成の様なそのビルの最上階に十楽寺とレイはいた。
「久しぶりね。十楽寺先生。」
案内された専用エレベーターの扉の前で仁王立ちした若い女が挨拶した。派手な色のスーツに身を包んだ彼女は態度も大げさで高飛車な印象を与える。いつもと違ってネクタイを締めた十楽寺は苦笑しながら彼女に近寄り恭しくお辞儀をしてみせた。
「お久しぶりです、五菱八重さん。本日もご機嫌麗しゅう。」
「わざとらしい挨拶ね。似合わないわよ。」
「いやーいつもお世話になっている五菱商事会長のご息女様ですから。ちゃんとご挨拶しないと。ねーレイちゃん?」
「言うじゃない。ま、その方が貴方らしくて好きよ。」
八重は十楽寺にそう言い放ち、艶めく黒髪を揺らしながら後ろを向いて歩き出した。彼女は五菱財閥の現当主の娘にしてここ、五菱商事本社の重役である。二十六歳で何千といる社員の上に立つ彼女は五菱家の人間である事を除いてもかなりの手腕の持ち主である。
「三ヶ月ぶりだったかしら。元気だった?」
「この通り絶好調ですよ。ね、レイちゃん。」
八重はにこにこと笑顔で答える十楽寺と相槌をうつレイをちらりと見て足を速めた。長い通路を三人は延々と歩く。
「この三カ月間、そちらもお変わりないようですね。」
「ふうん、皮肉かしら。」
「え?やだなあ褒めたつもりだったのに。現状を維持するのも大事なことじゃないですか?」
「貴方って思ったことをそのまま言うのね。」
「あはは、それ褒められてるって受け取っていいですかね?」
「相変わらずね。」
笑顔でのやり取りだが何処と無く二人の間に不穏な空気が漂っている。いつもの事なのかレイは特に気にした様子も無く、十楽寺の後を追う。廊下はぐるぐると渦を巻くように次第にビルの中央に向い、やがて最奥まで着くと、廊下の先に一つの扉が現れた。八重がその扉の前にある機械に手を乗せる。指紋認証だ。指紋認証が終わると一部の壁がスライドして何かの差込口が現れる。八重はそこに持っていたカードを差し込んだ。
「でも変わりがないようじゃ駄目なの。停滞してたらあっという間に時代の波に流されるわ。」
扉が自動ドアのように開口した。扉の向こうには更にもう一つ扉があり、その奥に大きな空間が広がっていた。中央には大きな社が立てられている。まるで神社の一画をそのまま設置したようなそれは、近代的なデザインのこの建物には不釣り合いで異様な雰囲気を醸し出している。
「下手な事しないでよ?ここに入れるのは五菱の人間だけなんだから。」
「大丈夫ですよ!それにしても、何度来ても思いますけど立派な社ですねー。流石五菱さんはお金の掛け方が違いますよ。お稲荷さんを信仰してる企業は山ほどありますけど、ここまで社と設置場所にこだわってる企業は他に無いでしょうね。」
八重に案内された二人はその社を見上げる。十楽寺は感心しつつも半ば呆れた様に感想を述べた。
「大企業っていうのはどうしてこうも信心深いんだろうね、レイちゃん。特にお稲荷さんを信仰してる企業は異常だよ。伏見稲荷なんて奉納された物凄い数の社や鳥居が立ち並んでいて、信心よりも野心を感じるね。」
「あら、十楽寺先生もその大企業の野心に漬け込んでお祓いに法外な額を要求してるクセに。所詮貴方も同じ穴のムジナよ。」
「いやあ僕たち共通点が多いようですね!運命感じちゃうなー。」
笑顔だが語気の強い言い方で返す十楽寺の肩をレイがたたいてたしなめる。どうやら二人の仲は非常に悪いらしい。八重はレイにたしなめられた十楽寺の鼻先でニッコリと笑って見せた。
「あらあらそんな事言うからおたくの美人助手が妬いてるわよ。それにウチはただの稲荷信仰じゃないわ。稲荷神を使役してるんだから。」
「…憑き物筋なんて自慢になりませんよ。リスクの方が高いんですから。」
憑き物筋とは高等な動物霊を使役する家系のことである。八重が言う稲荷神を使役するとは、狐の憑き物筋であるという事だ。この霊は上手く使えば莫大な利益を与えてくれるが、動物霊の数が増えすぎると没落する危険もある。また、利益を得ると言っても余所の家から幸運や利益を奪って周りを不幸にする事から、昔から憑き物筋は忌み嫌われてきたのである。
「それを隠す為にこうやって社を最奥地に建ててあるのよ。もちろんお稲荷様がここから逃げられないようにするためでもあるけど。」
そう話す八重の視線の先にある社は、よく見ると戸や窓が存在しない。立派な社だが、どの方向から見ても木の板が打ち付けられている。
「華族でもない農民の家系の五菱が、日本有数の大財閥にまでのし上がったのは全てこのお稲荷様のお陰なのよ。管理をきちんとすればこれ程現世利益を与えてくれる神さまは存在しないわ。現世利益を目的とする密教徒の貴方ならわかるでしょ?」
「…大きな力にはそれ相応の対価が必要な事を忘れないで下さいね。」
八重が十楽寺を見ると、十楽寺は先程と違って真剣な面持ちで呟いた。八重はそれを一瞥してから颯爽と社から離れる。
「フン、わかってるわ。だからこうして三カ月に一度供養祭を行ってるのよ。いいから早く始めて頂戴。」
「わかりましたよ。その為に来たんですからね。」
いつもの笑顔に戻ると、十楽寺はレイの持って来た大型の鞄から道具を取り出し、準備を始めた。スーツの上から袈裟を着て、独特な形をした皿や匙、細い薪等を並べる。これから十楽寺が行うのは護摩供養という密教の秘儀である。護摩木という薪と供物を幾つかの過程を経ながら焼く事で神仏に祈願し、家内安全、商売繁盛、病気平癒などあらゆる願いを叶えて貰う儀式である。準備の様子を穴が開きそうな程真剣に見つめる八重に、十楽寺が苦笑しながら向き直る。
「えっと、此処からは企業秘密なので外に出て貰えませんか?一応秘儀なんで。」
「毎回思うんだけど、どうせ普通の護摩焚きでしょ?一般人向けに開放してる所もあるじゃない。なんで出なきゃいけないのよ。」
「いやーほら、後ろに素敵な美女がついてると思うと緊張しちゃってダメなんですよね~。」
「図太い性格して何言ってんのよ。毎回毎回はぐらかして、変な事されて家運が傾いたら冗談じゃ済まないの!今回こそ見せてもらうわよ!」
「その心配は絶対ありませんよ。ついでに三カ月分の溜まった厄も払っておくんで!て事でレイちゃんお願い!」
「あ、ちょっと!放しなさいよ!ちょっと!!」
レイが八重の背中を押して部屋の外に一緒に出て行った。二人が出て行ったのを確認した十楽寺は深い溜息を一つ吐いてから、真剣な面持ちで社に向き直った。