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Panta rhei

当ブログは管理人、三枝りりおのオリジナル作品を掲載するブログです。

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おいでよ!十楽寺探偵事務所 第三夜(1)

 その人は美しかった。ただただ美しかった。

 彼女との出会いは、乗り換え地点の新宿でバーに入った時だった。歓楽街から少し外れた小さなこのバーはうるさい若者も居らず、日頃の仕事の疲れを癒すには絶好の場所だ。その日も同僚と別れ、荒んだ心を安酒で潤すつもりだった。だが、店に入った瞬間その思いは吹き飛んだ。彼女の姿を目にしたからだ。真っ白な陶器のような肌に、鼻筋の通った整った顔立ち。ダイヤモンドを擬人化したらこうなるのだろうか?美しいセミロングの髪の隙間から覗く灰色の瞳は長い睫毛に縁取られ、照明の明かりが反射してキラキラと輝いている。その美しい姿に圧倒され、俺は危うく目的を忘れてしまいそうになった。決して誇張表現ではない。実際、カウンターに座った彼女の横顔を見ただけで数秒は動けずにいたのだ。その日から俺は別の目的を持ってバーに通うようになった。

「いらっしゃいませ。ご注文は?」

「ウイスキー。ロックで。」

 今日も彼女に逢う為にバーに入る。彼女はいつもカウンターの定位置に座っているから、俺は楕円形にカーブしているカウンターの、彼女から少し離れた席に座る。ここからだと自然に彼女が目に入るのだ。適当にグラスを見つめるふりをして彼女の顔を伺う。彼女は端正な冷たい表情を一ミリも崩さない。美しい。まるで人形の様に完璧だ。いや、並みの人形だって彼女には敵わないだろう。俺は彼女を肴に酒をあおった。自分でも異様なのはわかっていた。見知らぬ女性を盗み見ながら酒を飲むなんて。三十年生きてきて、結婚を考えた女性がいた俺でも、一言も話した事のない相手を見ながら酒を飲むというのは初めてだ。それだけ彼女が美しく、特別であるという事なのか。

 八時過ぎ、今日もバーに向かう。最初はただ彼女を見つめるだけだったが、最近は彼女がどんな人間なのか考える様になった。考えるというよりも妄想に近い。どこで何をしているのか、どうして突然現れ、そして毎夜このバーに通う様になったのか想像するのだ。容姿から初めはどこかの高級ホステスかと思ったが、ならこの時間にバーにいるのはおかしい。それに彼女はいつも黒い長袖に黒いズボンを履いていている。素肌が見れなくて残念、いやともかく水商売の女ではないのだろう。なら昼間の仕事か?モデルかもしれない。でもそれにしては変わった格好だ。渋谷や原宿系というか、どこかのヴィジュアルバンドの衣装をもう少し落ち着けた様な…。ともかく目立つ格好だ。一般的な職業ではなさそうだ。ではなぜ突然このバーに現れる様になり、それ以来毎晩ここに通うようになったのだろう?いつも一言も口を利かず、ただ淡々とカクテルらしき物を飲みながら時折携帯に何か打ち込むだけで、誰かに会いに来ている様子もない。…いや、しかし俺も一言も口を利かないでただ彼女を眺める為だけに通っているじゃないか。女性が一人で毎晩バーに通うなんて妙だ。もしかしたらナンパ待ち?なら俺にもチャンスはあるだろうか。……いや、何を考えてるんだ。そんなわけあるはずない。彼女からそんな下品な雰囲気はない。単純に店を気に入っただけかもしれないじゃないか。しばらく逡巡している間にいつの間にかグラスが増え、気づけば10時。このままでは終電を逃してしまう。俺は急いで勘定を済ませると店を出た。

「……。」

 翌日、日課の電話をかけ終えてからバーに向かう。この携帯も古くなったから新しくスマホに変えようか。そう思ってからふと彼女の使っていた黒いガラケーが浮かび、やはりもう少しスマホデビューを見送ることにした。


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