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Panta rhei

当ブログは管理人、三枝りりおのオリジナル作品を掲載するブログです。

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おいでよ!十楽寺探偵事務所 第三夜(2)

『昨年、ストーカー被害件数がストーカー規制法制定以来最高値を記録しました。今年に入ってからもストーカー殺人が四件も起きている現状です。ストーカーの実態とは一体どんなものか、本日は犯罪心理学専門の先生をお招きしてお話をお聞きしたいと思います。……』

「ストーカーねえ…。それより島田、今日の合コンどうする?」

「……。」

「…島田、おい聞いてるか?おーい。」

「…え、ああ。悪いなんだっけ?」

 いけない、ぼーっとしてしまった。慌てて携帯から顔をあげる。突然鮮明に聞こえ始めたテレビの音と同僚の声に昼休憩中だった事を思い出した。最近はこういう事が増えてきた。彼女の事が気になって仕事も手につかないのだ。

「なに携帯みてにやけてんだよ。新しい彼女?」

「いや、まだそういうんじゃ…。」

「まだって事はイイ感じって事かよ!んだよ彼女と別れて落ち込んでるって聞いたから合コンセッティングしてやったのに!」

「悪いな。今はそういうのいいよ。今日も早めに帰るから。」

 合コンで適当な女性を見つける気にもならない。早く退社してあのバーに行きたかった。まるで麻薬中毒者だと自分でも思う。密かに盗み見て買った彼女とお揃いの携帯を見るだけでにやけてしまうほど重症だ。と言っても、彼女の連絡先どころか俺の通話履歴には殆ど同じ人間の名前しか載っていないのだが。しかし、もう半月ほど彼女に逢う為だけにバーに通っているというのに未だに声をかけられない自分に嫌気がさしてくる。

 今日こそは何かアクションを起こしたい。せめて目を合わせるだけでもいい、彼女に認識されたい。バーに着くとまずは彼女がいる事を確認し、気付けに一杯目を飲む。それからなんて話しかけようか俺は頭の中でシミュレーションを始めた。半月前に見かけてからずっと気になっていて…ってのは気持ち悪いな。昼間のニュースを思い出して思い留まる。ここは軽く君、一人?なんてのはどうだろうか。…少し軽過ぎる気がする。いや、でもここは少し軽いくらいの方が相手も変に警戒しないかもしれない。よし、言え、言うんだ自分。

「……すいません、彼女と同じものをお願いします。」

 結局俺の口から出た言葉はそれだけだった。俺の勇気は所詮そんなものなのか。自己嫌悪に浸りながら、僅かに彼女が俺の事を気にしてくれる事を期待して彼女の様子を伺うと、彼女よりもバーテンダーが怪訝な顔をしてこちらを見た。

「本当にこちらでよろしいので?」

「え、は、はい。」

 男の俺がカクテルを頼むのがそんなにおかしいのか?状況がわからずにいると、バーテンダーがさらに続けた。

「ノンアルコールのオレンジジュースですけど…。」

 翌日、退社した俺は一目散にバーに向かう為新宿行きの電車に乗り込んだ。昨日の事を思うと足を早めずにはいられない。あの時俺は確信した。彼女はこのバーが気に入って連日通っていたわけではないのだと。毎日彼女が頼んでいたのはただのジュースだったのだ。そして考えれば彼女は決まって俺よりも前にバーにいて、俺よりも後にバーを出ている。毎日二時間以上あのバーでひたすらジュースだけ飲んでいるという事になる。きっと誰かを待っているのだろう。それもあのバーでなければならない理由があるんだ。ヤバい仕事という事も考えたがそれ以上にそれだけ彼女を待たせる相手がどんな人物か知りたくてたまらない。胸が締め付けられるような息苦しさに襲われながら俺はバーに入った。

「いらっしゃいませ。」

 毎日来ていて流石に覚えられたらしく、何も言わずともウイスキーのロックが前に出された。俺は泥酔しては話にならないので何時もよりペースを落としながら酒を飲む。俺がどんな気持ちでいるかも知らず、彼女はいつも通り美しくそこにいた。ただ花を愛でるように彼女を見つめてきたが、これからその彼女の別の面を知れるのだ。嬉しさと共に、あの人形のような美しい顔に別の表情が浮かぶ事に悲しみを感じ、そして彼女に会うであろう人物に強い怒りを感じた。感情の激流に飲み込まれないように酒で自分を抑えながら、ひたすらにその時を待つ。

 やがて十一時を回った頃、バーに一人の男が入ってきた。来客の度逐一確認していたが、その男は迷いなく彼女に近づいた。そして今まで一切人に興味を示さなかった彼女が男の方を向いたのだ。来た!男は笑顔で彼女の横に腰かけた。

「レイちゃんお疲れ様!連日ごめんね?この仕事終わったらなんでも買ってあげるから!」

「……。」

 こんな男を彼女は毎晩待ち続けていたというのか。男は二十代半ばに見えるが、黒いワイシャツにヒョウ柄のスカーフをしてヘビ柄のズボンをはいていた。顔はそこそこだが、容姿といい言動といいホストだろう。軽そうな話し方でいやに馴れ馴れしく、二人が気のおけない仲であることは明白だ。嫉妬に頭が沸騰しそうになるのをなんとか抑え、頭を整理する。そうだ、有益な情報も得られたじゃないか。男は彼女を『レイちゃん』と呼んだ。本名か、あだ名か。それだけでも大きな進展じゃないか。呼ばれた彼女は少し迷惑そうな顔で男を見ている。

「もーなんでそんな顔するの?あ、お腹空いたの?じゃあ早く帰ろ!レイちゃんの夕飯用意してあるからね。今日は僕がごはん炊いたんだよ!」

「……。」

 お前じゃなくて炊飯器が炊いたんだろ。何処と無く不安そうに眉をひそめる彼女に誇らしげな顔で自慢している男を怒鳴りたい。…と言うか、二人は同棲しているのか。

「え、いらないの?信用ないなぁ…。じゃあ何?」

「……。」

「どうしたの?……うわ!れ、レイちゃん帰ろう!お勘定お願いします!」

 崖から突き落とされたような絶望に頭が真っ白になっていると、彼女が男の袖を引っ張りながら俺を見た。それに気づいた男は俺の方を見るとひどく驚いた顔をして慌てだした。そんなに酷い顔をしているのか。この場にいる気にもならず、俺はそっと席を立ちトイレに入った。

「……ひでえ顔。」

 鏡には、酒を飲んでいたというのに顔面蒼白の落ち窪んだ目をした男が映っていた。なるほど、こんな顔に凝視されていたら逃げたくもなる。自傷気味に笑ってトイレを出ると、二人の姿は既になく、後悔と虚無だけが残っていた。


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