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Panta rhei

当ブログは管理人、三枝りりおのオリジナル作品を掲載するブログです。

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おいでよ!十楽寺探偵事務所 第一夜(4)

「羽柴!なんだこの報告書は!一千万とはどういう事だ!」

 大島の怒号が空気と羽柴の鼓膜をびりびりと振動させた。羽柴は縮こまりながら目で人を射らんとする大島に小声で答えた。

「わ、私自身信じられません。…でも決して嘘じゃないんです。十楽寺先生は確かに何かと対峙して、それを消滅させたのです。」

「はあ…。」

 大島はこめかみを抑えながら報告書を眺める。

「で、実際にお前はそれを見たのか?」

「いえ、何せ相手は見えない存在なので…。」

「じゃあこのマジカルなんとかというのは?」

「霊力を込めたというステッキで、なんでも魔を打ち砕く仏教の武器のような強さがあるとか…。妖怪を倒しても全く傷ついていませんでした。」

「その霊力というのはなんなんだ?」

「それは………わかりません。」

「羽柴……。」

 大島の眉間に更に深いシワが寄る。羽柴はそれをびくびくしながら見つめ、なんとかその溝を緩める方法を模索していた。

「お前、薬か何か飲まされたんじゃないか?」

「えっ…?」

「詐欺師の手口だ。香や飲み物に薬物を混ぜて幻覚を誘発する。」

「そ、そんな!」

「ともかくもういい。後は上に俺が伝える。お前はもう下がれ。」

 大島はそれだけ言うともう羽柴と目を合わせようともしなくなった。羽柴は仕方なく自分のデスクへ戻った。

 それから約一カ月、何事もない平穏な毎日が流れた。羽柴も十楽寺達の事を忘れかけ、日々の仕事に忙殺される中、受付嬢から一本の内線が入った。

「はい、羽柴です。」

「受付です。今、五菱商事の古池礼二様とそのお連れ様がお越しです。羽柴さんと大島本部長にお会いしたいと。」

「えっ!五菱さんが⁉」

 五菱商事の名前を聞いて羽柴の脳裏に十楽寺達の姿がよぎる。同時にあの奇妙な一日の事も。しかしすぐに頭からそれを振り払い、気をとり直した。古池礼二とは取引で何度か会ったことがある。十楽寺関係ではないだろう。アポイントを受けた覚えはないが大事な取引相手だ、とりあえず顔を出そうと決断した。

「大島本部長も承諾されましたが、如何致しますか?」

「あ、ああ。行きます。直ぐに。」

「かしこまりました。では第一応接室へお越しください。」

 事務的な受付嬢の返事を聞き、羽柴は直ぐに支度を始めた。僅かな疑問を胸に抱きながら。

「お待たせしました。羽柴です。古池さん、本日はいかが……」

 羽柴が応接室に入ると、すでに大島達が揃っていた。羽柴が目にしたのは大島の後ろ姿と、それに対峙する清潔感のある中年男性、古池。その古池の隣には…。

「十楽寺、先生…。」

「あ!どーも羽柴さん久しぶり!」

 お連れ様とは十楽寺の事だったようだ。言葉の出ない羽柴をよそに、十楽寺がスーツの首元を緩めながら話し出す。

「いやぁ僕がアポ取ろうとしても無理だと思ってこういう形にさせていただきました。ね、古池さん?」

「はい。」

「もう変装といていいよ。」

 そういわれた瞬間、古池があっという間にあの細身の美しい男、レイに変わっていた。そのスピードはまさに瞬きよりも早い。大島が険しい顔をさらに険しくし、般若のような形相になった。

「…なんのつもりですか十楽寺さん。」

「強引な方法をとってすみません。ああ、工事再開したらしいですね。現場監督さんも復帰されたとか。」

「そんなことはどうでもいい!一体なんのつもりだと聞いてるんだ!」

「まあまあ落ち着いて大島さん。騙して入れてもらった事は謝ります。でもそちらも人の事言えませんよね?」

「っ…!お引き取りください!」

 大島の怒号が響くが、あいかわらず十楽寺は飄々としている。ソファに盛大に腰掛け、出されたお茶をのほほんと飲んでいる。

「あの、どんな御用件で…?」

「あれ、羽柴さんはもしかして知らないのかな?料金が支払われてないこと。」

「えっ!」

 羽柴がとっさに大島を見る。報告書で伝えたはずだ。払うにしろ払わないにしろ、てっきりもう決着はついているものと思っていたのだ。

「デタラメを。払ったでしょう。」

「二百万しか受け取っていませんよ。」

「それだけ払えば十分だ!」

「僕たちが請求した額は一千万です。それだけ命のかかった仕事ですからね。羽柴さんもこの仕事の事、わかっていただけたはずですよね?」

「は、はい…。」

「どうせ薬か何かで幻覚を見せたんだろうが。」

「これだから一見さんてのは…。」

 十楽寺は深いため息をついて、レイの分の湯のみにまで手を出した。ほとほと呆れた様子だ。しかし、その湯のみを置くと、十楽寺は先ほどと打って変わって真剣な眼差しで大島を射た。

「困りますね、せっかくわかってもらうために羽柴さんに退治する場面を見せたのに。これじゃあもう一度やらなくちゃいけなそうだ。」

「脅迫でもするつもりかね。若造が…会社をなめるのもいい加減にしたまえ!」

 大島の怒号が響いたその瞬間、応接間の電気が点滅し始めた。接触不良とは少し違う。羽柴はその光に警告ランプを思い出した。次いでどこからか生臭い匂いが漂ってくる。同時に羽柴は足元から這い上がるような恐怖に襲われた。一カ月前、建設現場で感じたものに似ている。大島も同様な気分に襲われ、ソファにぐっと爪を立てた。

「人間相手は疲れるんですよ。なんせ力加減しなきゃいけないんでね。」

 十楽寺とレイの影が照明の加減と関係なく揺れ蠢き、徐々に大きくなる。影はおよそ人間の姿とは言えない禍々しい姿に変容していく。それを目の当たりにした大島と羽柴は驚愕した。

「何の茶番だ!人を呼ぶぞ!」

「どーぞご自由に。」

 おぼつかない足取りで大島がドアを開けようとするが開かない。鍵は開いているはずなのにだ。羽柴もそれを見て内線に繋ごうとするが線は繋がっているのにノイズのような音がするだけで全く使い物にならない。それどころか受話器から何か恐ろしいものがこちらに語りかけてくるような気配を感じて慌てて内線を切った。堪らず十楽寺を見る。

「な、な、何をしているんですか十楽寺先生⁉」

「簡単に言うと地獄の悪神を呼び出してます。」

「あ、悪神⁉」

「ええ。この前退治した奴の比じゃないですよ。現世に現れる妖怪なんて足元にも及びません。」

「や、やめてください!お願いします!お願いしますから!」

「大島さん、わかっていただけました?」

「こ、こんなものはトリックだ!な、なにか仕掛けたんだろう!」

「本部長!もうやめましょうよ!さっき来たばかりのここで、トリックなんて仕掛ける方が無理があります!」

「黙れ羽柴!お前も騙されるな!」

 ガタガタと震える腕を突き出し、大島は十楽寺たちを指差した。初めて見る大島の怯えた姿に、羽柴もさらに心細くなる。なんとかして十楽寺たちを止めようと考えるが、羽柴の体も力が抜けてうまく動けない。強情な大島の様子に、十楽寺がレイに目配せをした。それを受けたレイが、すっと立ち上がる。

「   」

 レイが口を開いた。何かを話すように唇が動くが、声を捉えることができない。疑問符が浮かぶ二人に応えるように、レイが大島の足元を指差した。大島は自分の足元に目をやり、声にならない悲鳴を上げる。ついで羽柴もその目を追い、今度こそ部屋に悲鳴が響いた。

「ほ、本部長!」

 そこには毛虫、蛭、百足、毒蛇、毒蜘蛛…。他にも名前のわからないありとあらゆるおぞましい姿の虫が群がっていた。それが次から次へ床から湧き出し、大島の足を這い上がる。いくら大の男とはいえ、害虫に群がられて恐怖しない者はいないだろう。虫達は目的を持ったように黙々と上へと登ってくる。うぞうぞとうごめく其れ等は、視覚的にも触覚的にも大島の精神を侵す。

「これでもまだ幻覚だといいますか。」

「くぅ…ッ…!わかった、上にもう一度掛け合う!だから早くこれをなんとかしてくれぇ!」

「ありがとうございます♪」

 十楽寺の笑顔とともに部屋が明るくなる。先ほどの禍々しさが嘘のように平凡な部屋に戻った。大島の足に群がっていた虫たちも途端に死に、ぱらぱらと転がり落ちた。大島は真っ青な顔でその死骸を避けながらなんとかソファにもたれかかる。未だに震えが止まらないようだ。レイが背中をさすろうとするのを払いのけ、浅い呼吸を繰り返した。十楽寺がそれをどこか冷めた瞳で見つめたまま語りかける。

「わかっていただけて恐縮です。それじゃあこちらの書類にサインしていただけますか?言い逃れされても困るので。」

「わかったから…。少し、少しだけ待ってくれ…。」

 呼吸を整えようとする大島を見て、彼の前に契約書を出して十楽寺たちはまた席に着いた。羽柴もオロオロしながら席に着く。

「大島さんがこんな状態だから羽柴さんに言うけど、こちらは現実的な脅迫も可能なんですよ?」

「ど、どういうことですか…?」

「僕たちが最初に訪ねてきた姿で気付きませんでした?羽柴さんの取引相手を僕たちは知ってたからその人に化けられたんですよ。」

「あ…。」

「これでも表側は探偵業をやってますから。本社勤務とはいえ末端社員の羽柴さんの取引相手を知ってるって、どういうことかわかりますよね?奈々ちゃんのおかげでもっとでかい情報も掴んでるんですよ。例えば来月発表予定の新製品のこととかね。ファンデーションでしたっけ?」

「よせ!機密情報だ!それ以上はやめてくれ!」

「別にどうこうするつもりはありませんよ。ただ、うちが大企業とかなりの繋がりを持っていることも了承していただきたい。その気になればそれをダシに一千万くらいすぐに他の企業からいただけるんですよ。」

 笑顔で語る十楽寺に、大島たちは戦慄し、心の底からこいつは絶対に敵に回してはいけない人間だと思った。大島は一刻も早く二人を帰らせるために震える右手に左手を添えながらサインをし、葉王の印を押して十楽寺に手渡した。十楽寺はそれをきっちりと確認すると、レイの持ってきたファイルに丁寧にしまい、席を立った。

「それじゃ、長居しても仕方ありませんからお暇します。お忙しい中失礼いたしました!」

 笑顔で手を振る十楽寺に続いて、また古池礼二に変身したレイが部屋を出て行った。ドアの閉まる音が部屋に響くと、大島は緊張が緩んだようにテーブルに突っ伏した。羽柴は先ほどのことが未だに信じられず、うまく働かない頭のままとりあえず気を取り直すため湯のみを取った。口に持っていきながら何気なく部屋の隅に目をやり、青ざめる。毒虫たちの死骸が先ほどの事が現実であると物語っていた。


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