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Panta rhei

当ブログは管理人、三枝りりおのオリジナル作品を掲載するブログです。

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おいでよ!十楽寺探偵事務所 第一夜(1)

 大勢の人間が右往左往行き交う街、新宿。サラリーマン、学生、ホスト、浮浪者。普段接点のない者同士がすぐ真横を通り過ぎていく。人を避けながら歩くスーツ姿の二人組もその中の一つだ。若い方の男、羽柴は不安な面持ちで数歩前を歩く上司の大島に声をかけた。

「大島本部長。」

「なんだ?」

「…本当に、俺なんかが一緒で大丈夫なんでしょうか?」

「私達が心配することではない。上の決めたことだ。」

 厳つい面構えをした大島は羽柴の方を見ずにそう答えた。

彼らは大手企業である株式会社葉王の社員。今日は急遽直属の上司から本部長と共にとある取引先に向かうよう言われたのである。突然のこととはいえ、本社勤務の平社員である羽柴には何が何だか分からぬままに上司の後をついて来ただけだ。殆ど面識もない本部長の半歩後を歩きながら羽柴は不安を隠せないでいた。

 やがて二人は駅から離れた人通りの少ない灰色のビル街へと進み、ある高層ビルの前で立ち止まった。天に突き刺さりそうなコンクリートのビルを見上げ、羽柴は気を引き締める。

「ここですか。」

「いや違う。この隣だ。」

 大島の指差した先は、ビルとビルの間に挟まれた赤いレンガ風の小さな古いビルだった。両隣のビルとまるで時代が異なるような小汚いそれの入り口を見ると、奥に階段が上下に伸びているのが見て取れた。

「行くぞ。」

 大島は躊躇せずその階段を下に降りていった。慌てて羽柴もその背中についていく。階段を降りた先にはけばけばしい光のライトが設置されてあり、ライトに照らされて妙にみすぼらしく見える鉄製の扉に使い古された木のプレートがかかっているのを見つけた。プレートには『十楽寺探偵事務所』と書かれている。羽柴の顔に困惑の色が現れるが、大島は扉の真横に設置されているインターホンを迷わず押した。

「はい。」

 ギイ。

 重たい鉄の扉を開け、白髪混じりの初老の男性が現れた。家主だろうか、二人を見ると柔和な顔で恭しく訪ねた。

「ご依頼ですか?」

「はい。」

「えっ?」

「ではどうぞ中へ。」

 初老の男性に促され、部屋に入ると二人の眼前にはバーのような薄暗い照明に照らされた狭い空間があった。壁際には本がぎっしりと詰まった本棚が並び、中央には黒光りするテーブルとソファが設置されていた。

「こちらにお掛けください。今お茶をお持ち致します。」

「ありがとうございます。」

 二人は案内されるままにソファに座る。初老の男は奥に続く部屋に入って行った。部屋に静寂が漂う。

「…本部長。ここ、なんなんですか?探偵って…。僕は取引相手に会うとしか聞いてないのですが。」

「お前は余計な事を気にする必要ない。」

「す、すみません。……。」

「……。」

 大島は口を真一文字に結んで険しい表情を崩さない。今回の事例で初めて大島と二人きりにされた羽柴は、この沈黙に耐えられずに口を開いた。

「そ、それにしても、さっきの方、なんだか最近のドラマに出てる俳優さんそっくりですよね!なんでしたっけ、ほら、『灰色執事』の…。」

「お前は少し黙ってろ。」

 大島にたしなめられて口を噤んだ時、男が黒いジャケットに細身のパンツ姿の若い男を伴い、二人に対面する席についた。若い男は紅茶を持って脇に立つ。どうやら従業員のようだ。如何にも怪しげな雰囲気の男だと羽柴が観察していると、若い男は軽く会釈をして三人に紅茶を差し出した。

「それで、本日はどのようなご依頼でしょう?」

「……。」

「本部長?」

 初老の男の質問に、神妙な顔で黙ったままの大島。その様子に羽柴は戸惑いを隠せずそわそわし出した。男は柔和な笑顔を崩さない。大島はしばらく初老の男を見つめていたが、おもむろに黒い鞄をテーブルに置いた。

「……五菱商事さんより紹介されて参りました。」

「…失礼ですが、お名前をお聞きしても宜しいですか?」

「株式会社葉王の大島源蔵です。こちらは部下の羽柴修です。」

「…あ、申し遅れました。羽柴です。」

 二人が名刺を渡し、素性を明かすと、急に傍に立っていた若い男が初老の男の肩を叩いた。

「……もう良いよ、レイちゃん。ここからは僕が担当するね。」

「かしこまりました。」

 初老の男は立ち上がると男に向かって執事の如く礼をし、スーツを翻した。その瞬間、初老の男の姿は消え、美しいプラチナブロンドの若者が立っていた。思わず二人が息を飲む。

「は、え…⁉い、今いた男性は⁉」

「やだなあ見てなかったんですか?さっきのはこの子ですよ。この子職員ナンバーツーのレイちゃん。変装の達人なんです。尤も、見たことのある人間にしか変装出来ませんがね。」

 ジャケット男はレイと呼ばれた人物の肩に手をかけながらいやに馴れ馴れしく言った。レイは物憂げな表情で微かに頭を下げた。染めたにしては艶やかなプラチナブロンドの隙間から覗くその顔は、陶器のように透き通り、豊かなまつげに彩られた灰色がかった瞳は日本人離れした美しさを放っていた。細身ながらも百七十センチはある。まるで絵画の中から飛び出してきた様な完璧な美しさだ。

「そんな馬鹿な…。だって一瞬だったし、服装まで変わるなんて!声も完全に年をとった男の声で…!」

「よせ羽柴!申し訳ありません。こう言った事は初めてなもので。」

「良いですよ。レイちゃんの変装を見破れる人はいませんから。あ、申し遅れました。僕が所長の十楽寺九喜(じゅうがくじ きゅうき)です。」

 探偵事務所の所長を名乗った男は子供のような笑顔を見せると、あらためてレイと共にソファに腰掛けた。

「だますような真似をして申し訳ありません。でも探偵業の時は僕が所長だっていうと不審がられちゃうんで、レイちゃんに変装してそれっぽく演じてもらってるんです。」

「いえ、とんでもありません。」

「それで、五菱商事さんからのご紹介って事は、妖怪退治のご依頼ですね?」

「よ、妖怪退治⁉」

 羽柴が素頓狂な声をあげる。その様子に十楽寺が驚いたように目を丸くした。

「あれ、違いました?五菱さんとはそっちでしかお世話になってないのになあ。」

「違うもなにも、妖怪退治ってなんですか!本部長、この人たちヤバいですよ。場所間違えたんじゃありませんか?」

 騒ぐ羽柴をよそに、大島は神妙な表情を崩さない。意を決したように口を開いた。

「…いえ、その依頼で参りました。部下の非礼をお許しください。」

「あはははは!まるでお侍さんみたいですねその言い方!全然大丈夫ですよ。羽柴さんにはご説明されてなかったんですね。」

「はい。混乱させると思いこちらに寄らせていただく事しか説明していませんでした。かえってこのような失態をさらしてしまい申し訳ありません。」

「あ、あの…本部長?」

 上司の頭をさげる様子に、羽柴はますます混乱した。羽柴よりも若く見える十楽寺はまるで子供をなだめるような表情で羽柴に向き直った。

「じゃあ僕から説明しますね、羽柴さん。ここは表向きは探偵事務所。浮気調査やペット探しなどが主な業務です。でもそれだけじゃ成り立たないわけでして。裏では秘密で妖怪退治の仕事をさせていただいてます。お客様は完全紹介制。頼まれたら解決するまでとことんご奉仕させていただきますっ!ねー、レイちゃん?」

 にこにこしながら身振り手振りを加えて説明する十楽寺の様子は、子供番組の歌のお兄さんを彷彿とさせた。レイはただそれにこくこくと頷いて見せるだけだ。

「は、はあ…。」

「あれ、もしかして納得してもらえてない?あっ!じゃあ妖怪退治の方法について詳しく説明したほうがいいですか?レイちゃんチラシ持ってきて!」

「もう結構です。依頼は受けていただけるんでしょうか。」

 大島が話を遮ると黒い鞄のチャックを少し開けて中身をちらつかせた。中には札束が積まれている。十楽寺は横目でそれを捉えると、チラシを取りに行こうとするレイを制して座らせた。

「もちろん。妖怪が原因ならですけどね。依頼内容をご説明頂けますか?」

「……我が社では化粧品や入浴剤などのビューティーケアやヘルスケア事業に長らく取り組んできました。おかげで経営は潤い、この度新たに土木、建築などに関わるようなケミカル製品に手を広げることになりました。それに伴い三ヶ月前から東京に第二工場を建設中なのですが、そこで事故が多発して工事が全く進まない状態です。」

「事故とは?」

「重機の故障や材木の落下によってすでに七人が怪我を負っています。しかし重機の故障理由も未だ分からず、材木を吊るしていた紐も新品のはずが一部分だけが朽ちたように千切れていました。しかも先日からは現場監督が謎の熱病に犯され工事は実質こう着状態です。何度か高名な寺社仏閣にお祓いを頼みましたが事態は好転せず、途方に暮れていた時、五菱商事さんからこちらを紹介していただいた次第です。」

「ふーむ、なるほど…。」

 渡された紐の写真や重機の状態の報告書をまじまじと見つめ、十楽寺はわざとらしい神妙な顔を作ってみせた。こんなホストのような格好の若者に何がわかるのかと不審に思う羽柴をよそに、大島はひどく真面目な表情で十楽寺を見据えている。十楽寺はおもむろに顔を上げると、奥の扉に向かって声を張り上げた。

「奈々ちゃーん!」

「…何ー?」

 わずかな間の後、キンキンとした若い女性の声が返ってきた。羽柴が振り向くと、奥の扉が開いて小柄な女性が入ってきた。いや、女性というには若すぎる。十四、五歳と言ったところか。茶髪に染めた髪をサイドテールにしたその子は、少し生意気そうな目つきでこちらを一瞥すると十楽寺にぶっきらぼうに質問した。

「何か用?九喜。」

「この人たち依頼人さん。あ、うちの職員ナンバースリーの四条奈々美ちゃんでーす!」

「えっ…。」

 この女子中生風の女の子が?またしても個性的な人物の登場に羽柴の不安はさらに募る。奈々美は軽く頭をさげるとウエーブの掛かった髪の毛をいじりながら「どうも」と小さく挨拶した。

「で、早速『葉王』の状況について調べてくれる?」

「『葉王』?それなら最新バージョンがあるよ。」

 奈々美はいったん奥に引っ込むと、すぐにファイルを手にして戻ってきた。

「サンキュー!さすが奈々ちゃん!」

「さわんな!」

「もぉひーどーいー!」

 頭を撫でようとする十楽寺の手を払いのけるとすぐに奥に引っ込んでしまった。十楽寺は残念そうに口を尖らせて奈々美の入っていった扉の方を見つめる。ホームドラマのような一場面にあっけにとられている羽柴たちを見て、レイが十楽寺の肩を叩いた。

「ふぇ?あ、すみませんね、反抗期ってやつなんですよ~。」

「そ、そうですか…。」

 羽柴達の引きつった顔を肯定と受け取ったのか、照れ笑いをしながら十楽寺はファイルを開いた。

「えーと、葉王さんは…うん、今まで特筆するような悪いこともせず、他の企業とも円満な関係を気づいてますねぇ。大物政治家がパトロンについているようですが、まあ今回の件には関係は無いでしょう。顧客トラブルも一般的な範囲。これは会社に対する怨恨関係の呪いではなさそうですね。上役も誰かに恨まれている様子はない…あ、女子高生との援交はばれたらまずいかな…。」

「ちょ、ど、どこでその情報を⁉」

「奈々ちゃんはネットや情報収集のプロなんです。うちの情報処理担当。ああ、秘密は厳守するんで大丈夫ですよ!」

「…羽柴少し黙ってろ。十楽寺先生はプロだ。………五菱さんの紹介だぞ、多少のことは目を瞑れ。」

「……はい。」

 親指を立ててアピールする十楽寺をよそに、大島の言葉に羽柴は気を引き締めた。五菱商事は日本の三大財閥の一つ、五菱財閥の経営する会社だ。その一流企業がお世話になっているというのだ。実力は確かなものなのだろう。

「でも恋愛がらみの怨恨は体に影響が出ることが多いんですよねー。やっぱり土地かな…。」

「と、土地ですか?」

「一応お祓いも何度かやってもらってるんですが。」

 しばらくファイルとにらめっこしていた十楽寺だが、困ったような顔をして二人を見た。

「今はなんとも言えませんね。少し調べさせていただきます。準備が整い次第、こちらから連絡しますよ。レイちゃん、玄関まで送ってあげよう。」

 十楽寺に促され、二人は玄関まで送られた。

「本日はわざわざお越しいただきましてありがとうございました!またご連絡いたします。」

「…あの、料金の方は?」

「ああ、後払いで結構ですよ。五菱さんのご紹介ですから信頼しています。」

「あ、ありがとうございます。」

 ニコニコと眩しすぎる笑顔を放っている十楽寺から目をそらし、二人は足早に事務所を後にした。



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おいでよ!十楽寺探偵事務所 第一夜(2)

「ええっ!?私一人で十楽寺先生を担当、ですか!?」

 葉王本社の会議室に羽柴の声がこだまする。あれから数日後、羽柴は大島に会議室に話があると呼び出され、今の話を聞かされたのだ。羽柴の助けを求めるような視線を一蹴するように大島は厳しい表情を崩さない。

「ああ。すまんが俺は明日から別の案件を任された。これからは実質お前一人でやってもらわなくてはならない。」

「そんな…。あんな胡散臭い連中無理ですよ!言ってることもわけがわからないですし!」

「文句を言うな!」

 矢のような鋭い怒鳴り声に羽柴も口を噤んだ。会議室に冷たい静寂が流れる。大島は一拍置くと、羽柴をしっかりと見据えた。

「いいか羽柴。それは上も同じ考えだ。工事が行き詰まり、いくら藁にもすがる思いとはいえ、妖怪退治だのお祓いだの馬鹿げている。おまけにあの態度、とてもまともな人間とは思えん。」

「……。」

「しかし、五菱商事さんからのご紹介だ。無碍にも出来ない。好きにやらせて早くこの件から手を引きたいのが上の考えだ。だからお前は奴らが何かしでかさないか見張っているだけでいい。何かあったら連絡しろ。責任は俺が取る。いいな?」

「……はい。」

 半ば押し切られる形で話し合いは終了した。いや、むしろ話し合いですらなかった。羽柴は大島が出て行った扉を恨めしそうに眺め、やがてどうしようもないことだと自身を納得させると、とぼとぼと仕事に戻って行った。

「へー!ここが葉王さんの東京第二工場の建設現場ですか!ここって青梅市でしたっけ?東京って言っても結構田舎の方ですね~。」

 黒いワイシャツに白いパンツ姿の十楽寺がサングラスをひらひらさせながら感想を述べた。その脇にはゴシックファッションとでもいうのか、黒いタートルネックの上着を着て細身のズボンにロングブーツを履いたレイと、太ももが丸出しになりそうな程短いスカートを履いた奈々美が立っている。三人の出で立ちに羽柴は言葉を失ったが、なんとか気を取り直して簡易休憩所へ案内する。

「ええ…。ご連絡ありがとうございます。その、妖怪の目星がついたとかで……。」

「ああ、そうなんですよ!レイちゃん地図出して?」

 レイが持ってきた鞄の中から地図を出した。研究所の周辺地図だ。十楽寺は胸ポケットから赤ペンを取り出すと羽柴に見えるように地図を広げた。

「あれから詳しく調べたんですけどね、やっぱりこの土地に問題があったみたいなんですよ。」

「はあ…。」

「ここに神社があるじゃないですか、鶴戸神社。すぐ近くですよね。それでここから西側に御岳山(みたけさん)ていう山があるのわかりますよね。あ、ここからも見えますね。」

「ああ、はい。」

「それでこの神社と御岳山を直線で繋ぐと、ほら。」

「?」

 十楽寺が赤ペンで神社と御岳山の頂上にそれぞれマークをつけると、それをまっすぐ直線でつないだ。工場建設予定地を赤い線が分断する。

「ちょうどこの場所が直線距離にかぶっちゃうわけですよ。ね?」

「はあ…。……そうですね。」

 満遍の笑顔で地図を見せつける十楽寺に羽柴は戸惑いながら答えた。そんなこと誰が見てもわかる。正直、何かあっても近隣に被害が出ないように人気の少ないこの土地を選んだのだ。

「九喜、この人全然わかってなさそうだけど。」

 奈々美がマニキュアを塗った自身の爪を眺めながらつぶやいた。レイが十楽寺を見ながら地図の山を指差す。

「え?ああ、そっか。一から説明しないとね。えーとですね、霊魂や目に見えない精霊ってのは山に登るんですよ。山は標高の高いものほど霊力の強い場所で、そういうモノたちはそこを登っていわゆる成仏ってのを果たすんです。」

「ああ…。聞いたことあります。山岳信仰でしたっけ。」

「まさにその通りです。さらに彼らにはある程度通る道が決まってるんです。大体が神社や寺を経由していて、鶴戸神社もその経由地の一つです。しかも周りに寺社仏閣がないことから、ここが最終経由地だと思われます。弱いモノから強いモノまで様々な霊魂や妖怪がここで一気に集まって御岳山を目指すんです。しかしその道の真ん中で突如工場の建設が始まり、邪魔になったってとこでしょう。」

「はあ、なるほど…。」

 それらしい理由に一瞬納得しかけた羽柴だが、相手の手に乗るまいと慌てて気を取り直し十楽寺を挑戦的な目で見た。

「で、でもおかしいじゃないですか。幽霊とか妖怪とかって触れないものでしょう?工場なんてすり抜けちゃえばいいじゃないですか。」

「問題は建物じゃありませんよ。人です。妖怪は彼らにその気が無くても人に悪影響を及ぼすんです。精霊風や百鬼夜行ってご存知ですか?その風に吹かれたり、見ただけで人は病気になって死んでしまうんです。」

「あと金属の音も嫌なんでしょ?鈴とかが魔除けになるのはそのせいなんだってね。工事の音が嫌だったんじゃない?」

「そうそう!奈々ちゃんよく勉強してるねー。えらいえらい。」

「だからさわんな!」

 頭に持って行った手を叩かれて十楽寺がいかにも残念そうな顔をするのを横目に、羽柴は建設現場中に何か得体の知れないものが漂っているのを想像してぞっとした。悪寒を振り払うように十楽寺に反論する。

「そ、そんなのは迷信でしょう。科学の存在しない前世紀の話じゃありませんか。」

「じゃあ原因不明の重機の故障や機材の落下、現場監督さんの発熱はどう説明つけるんですか?」

「それは…。偶然が重なっただけですよ!」

「偶然で解決する問題ならいいんですけどねえ。」

 これ以上説明しても仕方ないという顔で十楽寺は椅子に盛大にもたれかかると、サングラスの柄を持ってぷらぷらと揺らした。

「羽柴さん。アナタ僕たちを信用してないみたいですけど、今回のご依頼はそちらからされたものですよね?」

「え、ええ…まあ。」

「ならきちんと信用していただきたい。こんな身なりとはいえ僕はこの道じゃ結構名の知れた妖怪退治師ですからね。」

「九喜はこう見えてもシンゴンシュウ?とかいうとこのソーホンザンで十年以上修行を積んだお坊さんらしーよ。」

 奈々美の言葉に、レイが鞄から紙を取り出して羽柴の前に広げて見せた。真ん中に『度牒授興畢』と大きく書かれ、その右側に『十楽寺九喜』と書かれている。十楽寺九喜というのはどうやら僧侶の持つ法名らしい。左には『高野山真言宗』の文字もあった。

「あ、これ度牒(どちょう)っていうんです。僧侶の証明書みたいなもんですよ~。もうレイちゃんたらそんなの見せなくていいってば!」

「ほ、本物なんですね…。」

 半ば詐欺師か何かだと疑っていた羽柴はそれを見て生唾を飲み込んだ。ソーホンザンというのは総本山、宗派の大元となる場所のことだろう。わずかに十楽寺に対しての不信感が消えた。十楽寺が照れたように笑う。

「昔の話ですよう。今じゃ山を降りて髪も伸ばしてますし。さて、説明も終わりましたしそろそろ準備に取り掛かりましょう。」

「えっ!準備って?」

「妖怪退治のですよ。理由もわかったし今日中に決着つけちゃおうかと思いまして。」

 にこやかに言う十楽寺に羽柴は唖然とする。妖怪退治とはいきなりやってきてそんなに簡単にできるものなのだろうか。羽柴は改めて三人の格好を凝視した。

「あの、そんな格好…いや、そんな軽装でやるんですか?お坊さんなら袈裟とか、数珠とかお経とか必要なんじゃ…。」

「あー、そういう人もいますけどねえ。和服って動きにくくて僕嫌いなんですよねー。」

「はあ…。で、でも今からお祓いをやるんじゃないんですか?」

「お祓い?あはははは!」

 突如おかしそうに笑いだした十楽寺に羽柴は動揺する。

「そんなまどろっこしいのやってられませんよ。お祓いってのは妖怪との交渉みたいなものです。僕がやるのは強行手段。だから『退治』なんです。」

 そういうと十楽寺はレイの差し出した黒い布を巻いた棒を見せて微笑んだ。

「これだけあれば十分ですよ。」


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おいでよ!十楽寺探偵事務所 第一夜(3)

「ふーん。へーえこうなってるんだ~。」

 日も暮れかかった建設現場をふらふらと歩き回る十楽寺を数メートル後ろからついていく。十楽寺の背中を見つめながら羽柴は胸を不安でいっぱいにしていた。十楽寺の言っていた強行手段という言葉が気にかかる。建設現場を荒らされたらどうしよう。大島本部長に報告するのが怖い。そんな気持ちを少しでも紛らわせたくて羽柴は隣を歩くレイに声をかけた。

「あの、レイさんですよね。以前そちらに伺った時は失礼なことを言ってしまいすみませんでした。」

「…。」

 レイは無言で片手を振った。気にするなという意味らしい。そういえばまだレイ本人の声を聞いたことがないと思いながら羽柴は会話を続けた。

「気にされていない様で良かった。…レイさん達はとても仲がよろしいのですね。まるで家族みたいです。」

「……。」

 羽柴はなおも一言も喋らないレイに若干苛立ちを覚えた。レイの声を聞いてみたい欲求に駆られた羽柴は、少し関係に立ち入った事を口にした。

「実は十楽寺先生の奥さんだったりとか…?あ、年齢的にまだ恋人ですかね。」

 笑いながら話す羽柴に、それまでほとんど表情を変えなかったレイが明らかに嫌悪の表情を見せた。羽柴の方も触れてはいけないことを言ってしまったと思い慌てたが、レイの隣から笑い声が聞こえてはっとした。笑い声の方を覗くと奈々美が腹を抱えて大笑いしていた。

「お、俺なんか変なこと聞いたかな…?すみませんレイさん!」

「おっさん馬鹿じゃね!レイちゃんは男だよ!九喜の奥さんとかマジウケるんですけど!あははははは!」

「えっ⁉」

 とっさにレイを見るとなんども首を縦に振っている。男だと言いたいらしい。羽柴は自分の失敗に顔を真っ青にし、次に恥ずかしさに顔を真っ赤にした。

「え、あ、あ、すすすみません!その、レイさんすごく綺麗だからてっきり女性かと…!」

「綺麗だからとか普通男に言わないし!おっさんホントさっきから失礼なことばっか言うよねー!そんなんじゃ出世しないんじゃね?あいたっ!」

 レイに軽く頭を小突かれて奈々美は彼を生意気な目つきで睨んだ。レイが左右の人差し指を交差してバツマークを作っている。

「何レイちゃん。言い過ぎって言いたいの?だって事実なんだからいーじゃん!」

「あの…。失礼ついでにどうしてレイさんは喋らないんですか?変装時は喋ってましたよね。」

「ああ、レイちゃんシャイだから人と素で喋るの苦手なんだって。変わってるよねー。」

「へえ……。」

 せめて声が聞けていたらこんな失敗はせずに済んだろうと思いながら改めてレイを眺める。鼻筋の通った上品な横顔は、男の角ばりも、女の丸みもなく、どこか外国の美少年の様に思えた。

「本名も国籍も年齢も教えてくれないし、謎だらけだよねレイちゃんは。九喜とは昔からの知り合いみたいだけど、どっちかっていうとされるがままなだけだよね。従順な助手ってカンジ?っ!」

 レイはまだまだ喋りそうな奈々美の口に人差し指を当てた。それ以上は喋らないで欲しいようだ。十楽寺がくるりと振り返る。

「ちょっと何三人で盛り上がってるの?僕も混ぜてよ!」

「アンタは仕事でしょ?黙ってヨーカイ探しなよ。」

「もう、ちゃんと探してるよ!」

 十楽寺が不満そうに手に持った棒を振り回す。その棒を気にしながら、羽柴が疑問をぶつけた。

「その、妖怪というのはどんなものなんでしょうか?ろくろ首とか、ぬりかべとか…?」

「え?あははは!違いますよ!そういうわかりやすくてユーモラスな存在は妖怪の一面に過ぎませんよ。」

「そ、そうなんですか!?」

「ええ。妖怪に本来姿なんてありません。しかし、ものによっては様々な姿に化けることができます。まあ詳しく説明する時間はないんですけど、害をなす霊的存在を僕は妖怪と表現したまでです。」

「じゃ、じゃあうちに現れた妖怪は!?」

「むろん名前もないし普通の人には姿も見えません。妖怪って言うのは元は不可思議な現象そのものなんです。それに名前をつけて、姿形をつけたのは人間ですから。本当の妖怪はもっと邪悪で恐ろしい存在ですよ。」

「はあ…。」

「今回みたいな場合は本当は場所を移すのが一番なんですけど、そうも行かないでしょうから今回は応急処置で。ここの大元を倒します。」

 十楽寺は機材が散乱したある一角まで来ると立ち止まった。

「うん、この辺りが一番霊気が強いかな…。羽柴さん達は下がってて!」

「ここは…。」

 十楽寺がこの場所で立ち止まった事で羽柴に緊張が走る。その場所は現場監督が高熱に倒れた場所だった。十楽寺達にこの場所の事は伝えてない。羽柴は動揺しながら十楽寺の様子を伺おうとするが、あたりは夕闇ですでに十楽寺の顔はよく見えない。

「黄昏時…。逢魔時とも言いますね。もっとも彼らに会いやすい時間だ。奈々ちゃん達、羽柴さんのそばから離れないようにね!」

「わかってる!」

 十楽寺の声に緊張が感じられる。おそらく表情もいくらか真剣なものになっているのだろう。十楽寺は山を背に向けて何かと対峙するように身構えると、持っていた棒状のそれの布をゆっくりと剥がしていく。羽柴は完全にその空気に飲まれ、訳も分からず緊張し、奈々美とレイに向かって小声で話しかける。

「あ、あれが妖怪退治の武器なんですか?」

「……武器って言えば、武器なんじゃね?」

「…。」

 奈々美とレイは顔を見合わせ、次になんとも言えない表情で羽柴に顔を向けた。意図がわからず羽柴は困惑したが、まあ見てろと言わんばかりにレイが十楽寺を指差したので、彼は再び十楽寺に目を戻す。

「…は⁉」

 羽柴はその眼を疑った。薄暗さの中で色まではわからないが、左右に羽を模した飾り、柄に巻き付いたリボン。そしてなにより先端のハート形の飾り。

「魔女っ子ステッキ…?」

「失礼な!これは僕が独自に霊力を溜めた法具、通称『マジカルヘヴンステッキ』です!」

「なんでそんな見た目なんですか!ていうか仏教なのにヘヴンて!」

「ファンシーで親しみやすさを重視してみました!」

「妖怪退治にそんなもの要りませんよ!」

 ホスト風の男が女児用のおもちゃを振り回す様に気を取られていると、突如周囲の空気が揺らいだ気がして羽柴は驚いた。次いで風圧のようなものが十楽寺を襲う。

「っ!」

 何も見えないが、何かがそこにいる。羽柴は一瞬にして体温が冷えるのを感じた。鼓動が跳ね上がる。その激しさに息ができず、胸を押さえながら羽柴はただ純粋に感じた。

 怖い。

「あーあ。羽柴さんが騒ぐから先手取れなかったよー。」

 間延びした十楽寺の声に羽柴の意識は現実に引き戻された。同時に酸素が一気に肺に入り込み、胸に痛みが走って咳き込む。呼吸をなんとか整えながら羽柴は考えた。あのままだと恐怖のあまりショック死していたかもしれない。先ほどまで自身を覆っていた真っ黒な恐怖心を思い出して身震いした。冷え切った羽柴の手をレイがそっと握る。

「えっ…?」

「レイちゃんが心配してやってんだよ。慣れてないなら見ないほうがいいよオッサン。」

「そ、そうなんですか…?ありがとうございます。」

「……。」

「なによレイちゃん。アタシは握んないよ?オッサンの手なんて触りたくないもん。」

 奈々美のセリフに軽くショックを受けた羽柴だが、先ほどの恐怖は消えつつあった。正直男に手を握られるなんて普段なら嫌悪感しか感じないはずが、レイの見た目もあってか羽柴は安心感を得られた。二、三度深呼吸をして呼吸を整えてから羽柴は十楽寺の様子を観察した。大きな怪我を負った様子はない。相変わらずステッキを肩に担ぎながら立ち尽くしている。十楽寺にはその何かが見えているようだ。

「なかなかでかいなあ。これは凶悪そうだね。」

「だ、大丈夫ですか?」

「オッサン、今は九喜に話しかけないほうがいいよ。」

「あ、すみません!」

「それに心配しなくても大丈夫だよ。九喜、すっごく強いから。」

 奈々美はそう言いながらまっすぐ十楽寺を見つめている。表情は見えないが、その声には十楽寺に対する絶対的な信頼がこもっていた。十楽寺がステッキを天に向かって掲げる。

「あまねく諸仏に帰命し奉る。金剛界の主尊大日如来よ、独鈷、羯磨、摩尼、蓮華と共に光明を差し伸べたまえ!」

 十楽寺の空気を切り裂く様な凛とした声に共鳴するように、ステッキが眩しい光を放ち始めた。山に太陽が隠れ、暗闇に変わりつつある辺りがまばゆい光に照らし出される。そこには陽炎のように揺らめく空気と、それに対峙する十楽寺の笑顔があった。先ほどの柔和な笑顔ではなく鋭い眼光で見えない相手を睨むその目は好戦的で、まるで別人のような迫力だ。ステッキを構える。

「君には悪いけど消えてもらうよ。次はちゃんと山に帰るんだね。」

 十楽寺はそのままソレに向かって一気に間を詰める。それから人間とは思えない高さまで跳躍すると、体重を乗せてステッキを一気に振り下ろした。

「みらくるへゔんぶれいく!」

「……はあ?」

 間の抜けた声とともに何かが破壊されたような衝撃が四人を襲い、思わず羽柴は目をつぶった。

 オオォオオォォオォォ……

 声のような轟音が周囲に響きわたる。アレの断末魔だろうか。大気に充満していた気配がきえると、ようやく羽柴は目を開けられた。正面から乱れた髪と服を直しながら十楽寺がこちらに戻ってくるのがわかった。レイが懐中電灯を灯す。辺りはもう暗闇に包まれていた。

「十楽寺先生!」

「いやあ今回は強敵だった~。」

「嘘ばっか。一撃だったじゃん。」

「酷いよ奈々ちゃん。普通の人間なら姿を見ただけで死んじゃうような奴なんだよ?それに見た目だってこーんなでっかくてなんかぐちゃぐちゃしてて!」

 子供が親に説明する様に両手を広げて説明する十楽寺から先程の気迫は消えていた。事の一部始終を目の当たりにし、体感した羽柴は十楽寺の笑顔に安堵した。

「なんだかわかりませんけど、本当に強いんですね…。」

「当たり前ですよ!『ミラクルヘヴンステッキ』は金剛杵に匹敵する力を持つ武器なんですからね!」

「こんごう、しょ…?」

「ダイアモンド並みの強度をもち、魔を打ち砕く仏教の武器ですよ。」

 そう言ってくるくると振り回しているステッキには傷一つない。この名前と見た目でなかったらもう少し尊敬できただろうと羽柴は脱力した。

「ともかく妖怪は霧散して消えました!元凶は絶ったし、一度派手にやればしばらく他の妖怪も寄り付きませんのでもう事故は起こりませんよ。現場監督さんの熱も間も無く下がるでしょう!」

「あ、ありがとうございます。」

「いえいえ。ところでレイちゃんは僕のこと心配してくれたよねー?ほら見てよここちょっと擦り剥いちゃって…ってちょっと!なんで二人手を繋いでるの⁉この数十分の間に何が…。」

「あっ!ち、違います!これはちょっと!」

「びびって震えちゃってるから仕方なく握ってやってたんだよ。ね、レイちゃん。」

「そ、それは…。」

「なんだ、びっくりしちゃったよ。レイちゃんは優しいもんねー。」

「キモッ!」

 奈々美の言葉も気にせず笑顔を絶やさない十楽寺と、同い年くらいの男に頭を撫でられても嫌な顔せずされるがままなレイに若干驚きながら羽柴はその三人の様子を眺めていた。これまで生きてきた二十八年間で一度も経験した事のない出来事を一日の間に次々に体験し、彼は半ば放心状態だった。

「さて、ここから新宿までは結構かかるからそろそろ帰ろっか。あ、そうだ。羽柴さん!」

「え、何ですか?」

「料金、まだ伝えてませんでしたよね。一千万円です。この口座に振り込んでおいてください。」

「はい。……ぇええ⁉な、い、一千万!?」

「そうですよ。こっちも命かかってますからね。」

「で、でも一千万なんて!」

「貴方も感じたでしょう?死の恐怖。」

 十楽寺の言葉に羽柴は出かかった声を詰まらせた。妖怪と呼ばれた存在が現れた瞬間、自身を襲ったあの恐怖。先のない暗闇が目の前に永遠に広がるような絶望。あれは死の恐怖だったのか。

「それじゃ、今回は十楽寺九喜をご指名いただきありがとうございました。上司の大島さんにもよろしくお伝え下さい!あ、振り込みは二週間以内にお願いしますねー!」

「え、ちょ、ちょっと!」

 羽柴の引き止めも聞かずに十楽寺達は乗ってきたレンタカーに乗り込み工場建設場を出て行ってしまった。遠ざかっていく車の明かりを見送りながら、羽柴は別の恐怖が自分を襲うのを感じた。



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おいでよ!十楽寺探偵事務所 第一夜(4)

「羽柴!なんだこの報告書は!一千万とはどういう事だ!」

 大島の怒号が空気と羽柴の鼓膜をびりびりと振動させた。羽柴は縮こまりながら目で人を射らんとする大島に小声で答えた。

「わ、私自身信じられません。…でも決して嘘じゃないんです。十楽寺先生は確かに何かと対峙して、それを消滅させたのです。」

「はあ…。」

 大島はこめかみを抑えながら報告書を眺める。

「で、実際にお前はそれを見たのか?」

「いえ、何せ相手は見えない存在なので…。」

「じゃあこのマジカルなんとかというのは?」

「霊力を込めたというステッキで、なんでも魔を打ち砕く仏教の武器のような強さがあるとか…。妖怪を倒しても全く傷ついていませんでした。」

「その霊力というのはなんなんだ?」

「それは………わかりません。」

「羽柴……。」

 大島の眉間に更に深いシワが寄る。羽柴はそれをびくびくしながら見つめ、なんとかその溝を緩める方法を模索していた。

「お前、薬か何か飲まされたんじゃないか?」

「えっ…?」

「詐欺師の手口だ。香や飲み物に薬物を混ぜて幻覚を誘発する。」

「そ、そんな!」

「ともかくもういい。後は上に俺が伝える。お前はもう下がれ。」

 大島はそれだけ言うともう羽柴と目を合わせようともしなくなった。羽柴は仕方なく自分のデスクへ戻った。

 それから約一カ月、何事もない平穏な毎日が流れた。羽柴も十楽寺達の事を忘れかけ、日々の仕事に忙殺される中、受付嬢から一本の内線が入った。

「はい、羽柴です。」

「受付です。今、五菱商事の古池礼二様とそのお連れ様がお越しです。羽柴さんと大島本部長にお会いしたいと。」

「えっ!五菱さんが⁉」

 五菱商事の名前を聞いて羽柴の脳裏に十楽寺達の姿がよぎる。同時にあの奇妙な一日の事も。しかしすぐに頭からそれを振り払い、気をとり直した。古池礼二とは取引で何度か会ったことがある。十楽寺関係ではないだろう。アポイントを受けた覚えはないが大事な取引相手だ、とりあえず顔を出そうと決断した。

「大島本部長も承諾されましたが、如何致しますか?」

「あ、ああ。行きます。直ぐに。」

「かしこまりました。では第一応接室へお越しください。」

 事務的な受付嬢の返事を聞き、羽柴は直ぐに支度を始めた。僅かな疑問を胸に抱きながら。

「お待たせしました。羽柴です。古池さん、本日はいかが……」

 羽柴が応接室に入ると、すでに大島達が揃っていた。羽柴が目にしたのは大島の後ろ姿と、それに対峙する清潔感のある中年男性、古池。その古池の隣には…。

「十楽寺、先生…。」

「あ!どーも羽柴さん久しぶり!」

 お連れ様とは十楽寺の事だったようだ。言葉の出ない羽柴をよそに、十楽寺がスーツの首元を緩めながら話し出す。

「いやぁ僕がアポ取ろうとしても無理だと思ってこういう形にさせていただきました。ね、古池さん?」

「はい。」

「もう変装といていいよ。」

 そういわれた瞬間、古池があっという間にあの細身の美しい男、レイに変わっていた。そのスピードはまさに瞬きよりも早い。大島が険しい顔をさらに険しくし、般若のような形相になった。

「…なんのつもりですか十楽寺さん。」

「強引な方法をとってすみません。ああ、工事再開したらしいですね。現場監督さんも復帰されたとか。」

「そんなことはどうでもいい!一体なんのつもりだと聞いてるんだ!」

「まあまあ落ち着いて大島さん。騙して入れてもらった事は謝ります。でもそちらも人の事言えませんよね?」

「っ…!お引き取りください!」

 大島の怒号が響くが、あいかわらず十楽寺は飄々としている。ソファに盛大に腰掛け、出されたお茶をのほほんと飲んでいる。

「あの、どんな御用件で…?」

「あれ、羽柴さんはもしかして知らないのかな?料金が支払われてないこと。」

「えっ!」

 羽柴がとっさに大島を見る。報告書で伝えたはずだ。払うにしろ払わないにしろ、てっきりもう決着はついているものと思っていたのだ。

「デタラメを。払ったでしょう。」

「二百万しか受け取っていませんよ。」

「それだけ払えば十分だ!」

「僕たちが請求した額は一千万です。それだけ命のかかった仕事ですからね。羽柴さんもこの仕事の事、わかっていただけたはずですよね?」

「は、はい…。」

「どうせ薬か何かで幻覚を見せたんだろうが。」

「これだから一見さんてのは…。」

 十楽寺は深いため息をついて、レイの分の湯のみにまで手を出した。ほとほと呆れた様子だ。しかし、その湯のみを置くと、十楽寺は先ほどと打って変わって真剣な眼差しで大島を射た。

「困りますね、せっかくわかってもらうために羽柴さんに退治する場面を見せたのに。これじゃあもう一度やらなくちゃいけなそうだ。」

「脅迫でもするつもりかね。若造が…会社をなめるのもいい加減にしたまえ!」

 大島の怒号が響いたその瞬間、応接間の電気が点滅し始めた。接触不良とは少し違う。羽柴はその光に警告ランプを思い出した。次いでどこからか生臭い匂いが漂ってくる。同時に羽柴は足元から這い上がるような恐怖に襲われた。一カ月前、建設現場で感じたものに似ている。大島も同様な気分に襲われ、ソファにぐっと爪を立てた。

「人間相手は疲れるんですよ。なんせ力加減しなきゃいけないんでね。」

 十楽寺とレイの影が照明の加減と関係なく揺れ蠢き、徐々に大きくなる。影はおよそ人間の姿とは言えない禍々しい姿に変容していく。それを目の当たりにした大島と羽柴は驚愕した。

「何の茶番だ!人を呼ぶぞ!」

「どーぞご自由に。」

 おぼつかない足取りで大島がドアを開けようとするが開かない。鍵は開いているはずなのにだ。羽柴もそれを見て内線に繋ごうとするが線は繋がっているのにノイズのような音がするだけで全く使い物にならない。それどころか受話器から何か恐ろしいものがこちらに語りかけてくるような気配を感じて慌てて内線を切った。堪らず十楽寺を見る。

「な、な、何をしているんですか十楽寺先生⁉」

「簡単に言うと地獄の悪神を呼び出してます。」

「あ、悪神⁉」

「ええ。この前退治した奴の比じゃないですよ。現世に現れる妖怪なんて足元にも及びません。」

「や、やめてください!お願いします!お願いしますから!」

「大島さん、わかっていただけました?」

「こ、こんなものはトリックだ!な、なにか仕掛けたんだろう!」

「本部長!もうやめましょうよ!さっき来たばかりのここで、トリックなんて仕掛ける方が無理があります!」

「黙れ羽柴!お前も騙されるな!」

 ガタガタと震える腕を突き出し、大島は十楽寺たちを指差した。初めて見る大島の怯えた姿に、羽柴もさらに心細くなる。なんとかして十楽寺たちを止めようと考えるが、羽柴の体も力が抜けてうまく動けない。強情な大島の様子に、十楽寺がレイに目配せをした。それを受けたレイが、すっと立ち上がる。

「   」

 レイが口を開いた。何かを話すように唇が動くが、声を捉えることができない。疑問符が浮かぶ二人に応えるように、レイが大島の足元を指差した。大島は自分の足元に目をやり、声にならない悲鳴を上げる。ついで羽柴もその目を追い、今度こそ部屋に悲鳴が響いた。

「ほ、本部長!」

 そこには毛虫、蛭、百足、毒蛇、毒蜘蛛…。他にも名前のわからないありとあらゆるおぞましい姿の虫が群がっていた。それが次から次へ床から湧き出し、大島の足を這い上がる。いくら大の男とはいえ、害虫に群がられて恐怖しない者はいないだろう。虫達は目的を持ったように黙々と上へと登ってくる。うぞうぞとうごめく其れ等は、視覚的にも触覚的にも大島の精神を侵す。

「これでもまだ幻覚だといいますか。」

「くぅ…ッ…!わかった、上にもう一度掛け合う!だから早くこれをなんとかしてくれぇ!」

「ありがとうございます♪」

 十楽寺の笑顔とともに部屋が明るくなる。先ほどの禍々しさが嘘のように平凡な部屋に戻った。大島の足に群がっていた虫たちも途端に死に、ぱらぱらと転がり落ちた。大島は真っ青な顔でその死骸を避けながらなんとかソファにもたれかかる。未だに震えが止まらないようだ。レイが背中をさすろうとするのを払いのけ、浅い呼吸を繰り返した。十楽寺がそれをどこか冷めた瞳で見つめたまま語りかける。

「わかっていただけて恐縮です。それじゃあこちらの書類にサインしていただけますか?言い逃れされても困るので。」

「わかったから…。少し、少しだけ待ってくれ…。」

 呼吸を整えようとする大島を見て、彼の前に契約書を出して十楽寺たちはまた席に着いた。羽柴もオロオロしながら席に着く。

「大島さんがこんな状態だから羽柴さんに言うけど、こちらは現実的な脅迫も可能なんですよ?」

「ど、どういうことですか…?」

「僕たちが最初に訪ねてきた姿で気付きませんでした?羽柴さんの取引相手を僕たちは知ってたからその人に化けられたんですよ。」

「あ…。」

「これでも表側は探偵業をやってますから。本社勤務とはいえ末端社員の羽柴さんの取引相手を知ってるって、どういうことかわかりますよね?奈々ちゃんのおかげでもっとでかい情報も掴んでるんですよ。例えば来月発表予定の新製品のこととかね。ファンデーションでしたっけ?」

「よせ!機密情報だ!それ以上はやめてくれ!」

「別にどうこうするつもりはありませんよ。ただ、うちが大企業とかなりの繋がりを持っていることも了承していただきたい。その気になればそれをダシに一千万くらいすぐに他の企業からいただけるんですよ。」

 笑顔で語る十楽寺に、大島たちは戦慄し、心の底からこいつは絶対に敵に回してはいけない人間だと思った。大島は一刻も早く二人を帰らせるために震える右手に左手を添えながらサインをし、葉王の印を押して十楽寺に手渡した。十楽寺はそれをきっちりと確認すると、レイの持ってきたファイルに丁寧にしまい、席を立った。

「それじゃ、長居しても仕方ありませんからお暇します。お忙しい中失礼いたしました!」

 笑顔で手を振る十楽寺に続いて、また古池礼二に変身したレイが部屋を出て行った。ドアの閉まる音が部屋に響くと、大島は緊張が緩んだようにテーブルに突っ伏した。羽柴は先ほどのことが未だに信じられず、うまく働かない頭のままとりあえず気を取り直すため湯のみを取った。口に持っていきながら何気なく部屋の隅に目をやり、青ざめる。毒虫たちの死骸が先ほどの事が現実であると物語っていた。


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おいでよ!十楽寺探偵事務所 第一夜(5)

 夜になっても変わらず賑わい続ける新宿の街。いや、むしろ夜の方が人の数が増えて感じるかもしれない。東口を出て少し行ったところにあるネオンの灯りに彩られたここは通称二丁目。ゲイバーが数多く軒を連ねる場所である。その中の一軒、『三匹の豚』という小さなバーに十楽寺とレイはいた。

『今宵のシンデレラにガラスの靴はいらない。二十四時間美しいあなたのままでいよう。葉王化粧品の『シンデレラファンデ』新発売。』

「これこれ!これ巷ですっごい人気なのよー。結構バッチリ塗り込めるからアタシ達も昼間も安心なのよね。おまけにお肌も荒れないし!」

 ムーディーな照明と音楽の中、店の奥についたテレビを見るともなしに見る十楽寺にハイボールを出しながら大柄の人物が話しかける。

「ああ、葉王の新商品ねえ。」

「なによ興味なさげね!」

「だって僕ら女装趣味じゃないもん。ねえレイちゃん?」

「…。」

 隣でオレンジジュースを飲みながら静かに頷くレイを見て大柄の人物、三子(みつこ)は腰に手を当ててため息をついた。彼はここの店主の女装家である。何故そのチョイスなのか薄地のぴっちりとしたドレスが厚い胸板のせいではちきれそうになっている。

「レイちゃんはいいわよ化粧なんてしなくても綺麗な肌だもの。うらやましいわ~。」

「三郎ちゃんも結構綺麗な肌じゃない?顔のラインさえ隠せばもっといいと思うよ!」

 十楽寺のにこやかな笑顔の前に包丁が突き立てられた。十楽寺の表情がそのまま固まる。頭の上からひときわ野太い声が降ってきた。

「次その名前で呼んだらコロス。」

「ゴメンナサイ三子サマ。」

 本名で呼ばれることを極端に嫌う彼のご機嫌を取りながら十楽寺はハイボールを煽った。男性ホルモンの影響をもろに受けた角ばった顔をした三子の怒り顔は圧巻である。

「まったくもう!余計なお世話なのよ!」

「いやあそれはそれで似合ってると思うよ…。そのショートボブ。」

「ありがと。ねえそれより見てよこの上腕二頭筋!一カ月ジムで鍛えまくって一回り大きくしたの。そそらない?」

「うわちょっとそれ以上筋肉に力入れるとドレス破れるよ!」

 微笑みながらレイの二倍はありそうな腕を隆起させる見るに堪えない光景に十楽寺が制止すると、三子は不満そうに頬を膨らませた。

「もう!伸縮性高いから大丈夫よ!まったく九ちゃんはレイちゃん一筋なんだから!」

 三子の言葉にレイが表情を変えずに首を振る。十楽寺も困ったように眉をはの字にして返答する。

「違うよ。僕たちそういう関係じゃないって!」

「あら、あんた達付き合ってんじゃないの?」

「最近よく間違えられるんだよねー。いっそ付き合っちゃう?」

「…。」

 ふざけて抱きつこうとする十楽寺をレイが華麗に避けたせいでそのまま椅子からずり落ちた。レイは若干眉間にしわを寄せながら左右の人差し指を交差してバツマークを作っている。

「あいたた…。冗談だってば!」

「ちょっと!いい大人が店内で暴れないでよ!」

「九喜、レイちゃん。何やってんの。」

 この場所に似つかわしくない甲高い声が聞こえて振り向くと、入り口の前に奈々美が立っていた。

「あら奈々美ちゃん!また可愛くなったわねえ。これ以上綺麗になったら入店禁止よ!」

「ハイハイ。一週間前にもそれ聞いたよ。で、今日どっか食べに行くんでしょ?」

「そうでした!予約入れてたの忘れる事だったよ。じゃあまたね三子ちゃん。」

「あらどこ行くの?」

「近くの京懐石料理店。ちょっと収入があったからね。またゆっくり飲みに来るよ。」

 十楽寺はそういうと代金を手渡し、二人を連れて足早に出て行った。

「全く慌ただしいわね。」

 ため息をつきながらコップを片付け、三子は他の客の相手をする事にした。店には相変わらずムーディーな音楽と客と従業員による喧騒が充満している。

 大勢の人間が右往左往行き交う街、新宿。サラリーマン、学生、ホスト、浮浪者。普段接点のない者同士がすぐ真横を通り過ぎていく。例えそれがどんな人間であってもきっと誰も気にしないだろう。だが、もし何かのきっかけで彼らに関わってしまうことがあれば気をつけなければならない。何故なら彼らは最強の味方にも、最恐の敵にもなり得るのだから。



fin

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